馬場二番丁

f:id:cho0808:20120303153726j:plain:left【消滅した年】昭和41年(1966年)
【現在の町名】東山三丁目
【感想・雑記】一番丁の次は二番丁、馬場二番丁のご紹介です。馬場一番丁から馬場六番丁まで存在しました。名前の由来は推して知るべし。馬場(調馬場)があったから、ということです。
馬場と呼ばれた町域全体は、現在ほぼ東山三丁目(一部は小橋町)となっています。
かの文豪、泉鏡花徳田秋声を輩出した歴史ある馬場小学校に今もその名を残すこの馬場の町域が、東山三丁目、というのは何となく違和感があります。もしもわたしが時の為政者であれば、町域を二分割にして馬場一丁目・馬場二丁目としていたことでしょう。
そもそも、東山というのは昭和40年以降付けられた新しい町名で、それはそれで京の都にもゆかりのあるよい名前だと思いますが、東山という名のもとに、多くの地名が消されてしまったのも事実です。
その「東山」命名の経緯が気になって夜も眠れない今日この頃です。卯辰山やその寺院群一帯を指す昔からの呼び名だったのでしょうか?市の職員が考えだした名前なのでしょうか?あれこれ考えていたら眠くなってきました。おやすみなさい。

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関助馬場(せきすけばば)のまちしるべ
[発見日:平成24年3月3日]