彦三六番丁

f:id:cho0808:20120122154735j:plain:left【消滅した年】昭和40年(1965年)
【現在の町名】彦三町二丁目、安江町、瓢箪町
【感想・雑記】不良番丁シリーズも終盤。彦三と馬場の繰り返しで、そろそろ新しい町の紹介もしたくなったので、六、七番丁一挙同時公開といきましょう。
 まずは六番丁ですが・・・写真では彦三六番町となってて、すでに町の字がどうの、ぐだぐだ言ってたことは忘れてほしいかんじになってきました。。。
 三番丁で少し触れましたが、彦三といえば、忘れちゃいけないのが昭和2年(1927年)の彦三の大火です。江戸の名物といえば、武士鰹、大名小路生鰯、なんとかかんとか、火消し、錦絵、火事に、喧嘩に、ちゅーっ腹、と言いますが、金沢では、宝暦の大火(1759)以来の大火事ともいわれており、お江戸八百八町とはちがって、あまり大きな火事を経験してこなかった町のようです。
 90年近く前の、ちょうど時期も今頃、昭和2年4月21日(宝暦の大火も4月です!)午前3時40分頃、横安江町の雑貨商から出火した火の手は、瞬く間に彦三町一帯を焼け尽くし、一部は浅野川を超えて東馬場町にまで被害がおよびました。この大火事によって、彦三町中に残っていた武家屋敷を跡形もなく消し去ってしまいました。現在も彦三町内に残る武家屋敷、野坂邸は彦三一番丁でご紹介しています。
 ここ彦三六番丁にあった金商(金沢商業学校)の木造校舎も15分で焼け落ちました。当時すでに小立野台地への移転が決まっており、火事から3日後の24日には、完成間近のまだ未完成な新校舎で授業を再開したという逸話が残っています。
(七番丁に続く)

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昭和2年4月22日北陸毎日新聞夕刊
[参考文献]
1.高室信一(1982)「金沢・町物語」(能登出版印刷部)
2.読売新聞金沢総局(1990)「金沢百年 町名を辿る」(能登出版印刷部)
3.瓢箪地区町会連合会(1997)「瓢箪地区40周年記念誌大いなる感動 未来への道」
[発見日:平成24年1月22日]