彦三七番丁

f:id:cho0808:20120122154932j:plain:left【消滅した年】昭和40年(1965年)
【現在の町名】彦三町二丁目、安江町、瓢箪町
【感想・雑記】(六番丁の続き)彦三の大火のあと、焼け野原となった彦三町内に昭和3年(1928)、金沢で第1号となる計画道路が作られました。それが現在も武蔵ヶ辻から浅野川方面に伸びる彦三大通りです。幅員21mの道路は当時としては市内一広い道路だったそうです。彦三町内にあった八本の通りのうち、彦三五番丁あたりを境に、斜めにぶち抜かれており、現在は、彦三大通りの東側(一番丁〜五番丁)が彦三町一丁目、西側(五番丁〜八番丁)が彦三町二丁目となっています。
 この彦三大通り、ここ最近、毎年10月ごろ?の秋の土日には歩行者天国になって、サンバカーニバルが行われている気がします。しばらく金沢を離れて暮らしていたのに、偶然2〜3回遭遇しました。わたしにとって彦三は、浅草並みにサンバの街となりつつあります。情熱の炎は燃やしても、火の元には十分注意せよ、ということでしょうか。乾燥続きの毎日ですが、みなさま、くれぐれも火の用心。

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昭和6年頃の彦三大通り(上)
平成24年頃の彦三大通り(下)
[参考文献]
1.高室信一(1982)「金沢・町物語」(能登出版印刷部)
2.読売新聞金沢総局(1990)「金沢百年 町名を辿る」(能登出版印刷部)
3.瓢箪地区町会連合会(1997)「瓢箪地区40周年記念誌大いなる感動 未来への道」
[発見日:平成24年1月22日]