十間町

f:id:cho0808:20120205150630j:plain:left:h300【現在の町名】十間町
【感想・雑記】ハッピーバースデー!ジャイアン!本日6月15日はジャイアンの誕生日です。昭和39年(1964年)6月15日生まれ。そんなジャイアンの誕生日を記念して、「ジ」ではじまり「ン」で終わる町を紹介します。それがこの「ジュッケン」町。
でも十間町は、永遠の小学生ジャイアンと同じく、今も昔から変わらずそのまま十間町です。町域も一切変わらぬ十間町。通りの幅が十間だったらしい十間町。つまり、今回はただの現町名紹介になります。これまでも反則ギリギリは何度もありましたが、町域変更もいっさいなしというのは初めてです。ブログ連載の延命をねがうあまり、禁じ手を使ってしまいました。でも、今日はジャイアンの誕生日だから、数少ない読者もきっと大目に見てくれるでしょう。表記も「金澤市」だしね。

十間町といえば何といっても今村証券ペギー葉山さんです。石川県民なら誰もが歌えるCMソングですね。「いつーいつーまでものぉーお付き合いー 金沢ぁー十間町 いまーむらーしょーけんー♪」県外の方はユーチューブで検索です。
この十間町には、藩政期の米仲買所から続く米穀取引所が昭和14年(1939年)までありました。その後、米相場から株相場へと移りましたが、まるでそこは大阪の堂島・北浜、東京の蛎殻町・兜町といった様相で、一攫千金を夢見る人間模様がうずまく、危険なにおいのする町だったらしいです。

さて、松ヶ枝校下のうち、百万石通り(国道157号)をはさんで東側、ちょうどこの十間町周辺というのは、住民運動などの結果、博労町、青草町、下堤町、上近江町、下近江町、下松原町西町といった旧町名が、住居表示されずに今も生き残っている地域です。銀行や大企業の支店が集まっていて、まるで同じく住居表示未実施地区として有名な東京・神田みたい。そんな松ヶ枝校下は、金沢の千代田区といっても過言ではないでしょう。
しかも、平成17年(2005年)に袋町、平成20年(2008年)に南町、平成21年(2009年)に上堤町が復活し、上松原町、西町一番丁、二番丁を残してほぼ住居表示前に近づきました。でも残りが復活してしまうと、おそらく尾山町が消滅してしまいます。わたしは尾山町という新町名が好きなので、旧町名復活もなんだか複雑なジレンマ、といったかんじです。

f:id:cho0808:20120414090815j:plain:w210
ステンドグラスの美しい尾山神社神門(重要文化財)
[参考文献]「金沢百年 町名を辿る」:1990:読売新聞金沢総局
[発見日:平成24年2月5日]