塩屋町

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【消滅した年】昭和40年(1965年)
【現在の町名】瓢箪町
【感想・雑記】もののはじまりが一ならば、国のはじまりは大和の国、兄さんよってらっしゃいは吉原のカブ、三三六法で引け目がないよ、産で死んだか三島のお千、四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、粋なねえちゃん立ち小便。
…と、長い前置きになりました。なぜ寅さんの口上で、立ち小便のネタかともうしますと、先日読んだみちくさ学会、風俗散歩さんの立ち小便の記事に、金沢、旧塩屋町にある漏尿坂(ろうばりざか)の記述があったからです。ということで今回は、塩屋町(しおやまち)のご紹介になります。ちなみに今回の日記では、金沢出身のあの塩谷さんは瞬…じゃなかった旬をすぎたのでとりあげません。

現在、塩屋町は全域が瓢箪町になっています。能登塩を扱う塩屋さんがあったことからつけられた名前だそうです。寛永年間(1624〜1644)に大手門付近から現在地に移転したとのこと。町ごと移転とはすごい。そして、なんとも歴史のある町名ですね。

さて、みちくさ学会でご紹介の漏尿坂ですが、場所は瓢箪町地内のほぼ五叉路です。五叉路で行き先が4方向に分かれているためなのか、別名四ツ割坂(よつわりざか、よっぱりざか)とも呼ばれました。でも、昌永橋から現在の彦三大通りへ出る途中の坂という説と、旧岩根町から旧塩屋町に出る坂という説の二説あるようで、どちらが正しいのかよくわかりません。なぜならそこは、傾斜がほとんどない坂なのです。昨日見に行ったけど、いずれも坂らしい坂にあらず。傾斜微小。タモさんも坂とは呼んでくれないだろうなーってかんじでした。
名前の由来も諸説ふんぷん、堀川新地の遊郭で遊んだ男たちが立ち小便をした坂とも、このあたりから湧き出る井戸水を頻繁に汲み運んで乾く間もなかった様子をたとえた名前とも言われています。
なお、金沢には漏尿坂以外にも多くの坂があります。なかには尻垂坂ってのもあるよ。興味のある方は、あの観音町三丁目に残った民家の一件にお住まいだったエッセイスト、故国本昭二さん著「サカロジー」(時鐘舎新書)をご覧くださいませ。

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昌永橋へと下る漏尿坂
[参考文献:「サカロジー」(国本昭二:2007:時鐘舎)、いいね金沢市民が見つける金沢再発見
[発見日:平成24年3月3日]