尾張町(上)

f:id:cho0808:20120627130221j:plain:w300 
【消滅した年】昭和45年(1970年)
【現在の町名】尾張町一丁目、尾張町二丁目
【感想・雑記】「いや(18)でござ(53)んすペリーさん」
なんとも言い得て妙な語呂合わせです。嘉永6年(1853年)7月8日、浦賀にペリーさん来航。まもなく、黒船来航159年です。その翌年、嘉永7年(1854年)に徳川幕府は、アメリカと厭々ながら日米和親条約を結び、200余年にわたる鎖国時代に終りを告げました。そのとき開国開港させられたのが箱館港と下田港です。
その静岡・下田、じつは旧町名界でもちょっとだけ有名な町なのです。なにが有名かって、大工町、紺屋町、須崎町、同心町といった由緒ある旧町名の消滅してできた町名が、なんと(下田市)一丁目〜六丁目。いきなり丁目からはじまる、味気なさMaxな町になってしまったことで有名なのです。ただ、ここから分かるのは、一丁目、二丁目というのはそれだけで立派な町名、固有名詞だということ。ゆめゆめ「中央1-◯-◯」のように添え字扱いするなかれ、ちゃんと「中央一丁目」と漢字で書くべし、なのです。「三軒茶屋」は「3軒茶屋」じゃないもんね。

さてさて、いつものように長い前置きで、結局なにが言いたかったのかともうしますと、現町名の「尾張町一丁目(二丁目)」と、今回ご紹介する旧「尾張町」は、固有名詞的に異なる町名でありまして、決して旧町名紹介のルールは違反してないよとゆうことなのです。え?言い訳がましい?ま、そのへんは大目にみていただきたい。えへん。

てなかんじで、旧町名の尾張町をご紹介いたします。旧尾張町は、武蔵ヶ辻から東山方面に向かう国道159号の大通りに面した町で、博労町交差点付近から橋場交差点(に架かる枯木橋)付近までが町域です。読み方は「おわりちょう」です。現在の尾張町(一丁目、二丁目)は、主計町母衣町新町、今町、中町、殿町、桶町、袋町…と裏通りにある周囲の町々を次々と飲み込んで超肥大化しましたが、主計町、袋町、下新町が旧町名復活を遂げ、多少のダイエットに成功しました。ちなみに、ありがちルールだと「町」の字を取って「尾張一丁目(二丁目)」になりそうですが、尾張町の名はかろうじて残っております。なお、町名の由来は、利家公が、出身地である尾張国から商人を連れてきて住まわせたことによるそうです。
以上ここまで、まだまだ語り尽くせぬ尾張町。てか無駄話が多いのよね。ですので次回、前代未聞の後編に続きます。ではでは。

f:id:cho0808:20120627130144j:plain:w210 
f:id:cho0808:20120512123604j:plain:w210
町民文化館(旧金澤貯蓄銀行、旧北陸銀行尾張町支店)(上)
嘉永5年(1852年)建築の福久屋石黒傳六商店(下)
[参考文献]みちくさ学会(銭湯)いいね金沢(歴史のまちしるべ標柱一覧)ウィキペディア(丁目)
[発見日:平成24年6月27日]