愛宕二番丁

f:id:cho0808:20120527161622j:plain:left:h300【消滅した年】昭和41年(1966年)
【現在の町名】東山一丁目
【感想・雑記】とうとう出ました。金沢東山のひがし茶屋街、愛宕(あたご)です。いまや金沢の一大観光地といっても過言ではないでしょう。東廓とよばれた格式高い花街です。今も芸妓さんがいておしゃみの音がどこからともなくちんとんしゃん、な街です。でも、いつのまにか観光地になっていたというイメージですね。わたしがちっちゃかった頃はそんなでもなかったような気がします。
愛宕はけっこう全国に見られる地名ですよね。どこも由来は、愛宕山愛宕神社だと思われます。有名なのは東京・芝の愛宕山でしょうか?金沢の愛宕は、藩政期、子来町にある宝泉寺のお隣りで、現在、料亭山乃尾さんのある付近に建てられた卯辰愛宕社が由来だそうです。明治時代に卯辰愛宕社は豊国神社に合祀されたとのことで、現在ある卯辰三社の愛宕神社とは別物のようです。

さて、そんな金沢・愛宕の町名ですが、じつにめまぐるしい変遷をとげております。もともとは、元禄(1688年〜1704年)以前から茶屋町と呼ばれていたそうですが、文政3年(1820年)に卯辰茶屋町と改名し、天保2年(1831年)には茶屋町に戻り、弘化3年(1846年)に愛宕一番丁から三番丁と改名、さらに慶応3年(1867年)に卯辰京町、東新地中ノ町、老松町、宮川町となり、明治5年(1872年)に愛宕一番丁から愛宕四番丁になって、昭和41年(1966年)に、現在の町名である東山一丁目に至ります。とくに1800年代がはげしい。10年おきぐらいに名前変えちゃってますね。ちなみに、ここでいう茶屋町とは、いわゆる花街をさす意味ではなく、旅人が立ち寄る茶店があったのが由来だそうです。

今回ご紹介の愛宕二番丁は5年しか存在しなかった東新地中ノ町からの改名です。ひがし茶屋街のいわゆるメインストリート、金沢の観光ガイドに載っている写真のところが愛宕二番丁です。この旧町名もきっとすぐ見つかるので、観光で金沢にお越しの際はぜひ見つけてお帰りくださいまし。

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観光ガイドでよく見るかんじの愛宕二番丁
子来町・宝泉寺から見下ろすあまり見ないかんじ?の愛宕二番丁
[参考文献]角川日本地名大辞典 17 石川県(1981年)
[発見日:平成24年5月27日]