高岡町下藪ノ内

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【消滅した年】昭和40年(1965年)
【現在の町名】高岡町、武蔵町
【感想・雑記】本日はちょうどドラえもんの生誕100年前です。ジャイアンの誕生日のときと同じように、ドラえもんの誕生日を記念して、「ド」ではじまり「ん」で終わる町、「ドウしん(同心)」町をご紹介したかったのですが、残念ながら今日までの発見には至りませんでした。
ということで今回は、ドラえもん作者、藤子・F・不二雄先生のご出身である富山県高岡市にちなんで、「高岡町下藪ノ内(たかおかまちしもやぶのうち)」のご紹介したいと思います。まあ、いつもながらの強引なこじつけでございます。

高岡町下藪ノ内の由来はまさにその富山県高岡市にあります。慶長14年(1609年)の9月13日、二代目加賀藩主の前田利長公は、越中高岡の町を開町しましたが、それから5年後の慶長19年(1614年)、その家臣たちが金沢に帰されてこの地に住んだのが由来とされています。なおこの年利長公が53歳で病死しております。高岡町には、今回ご紹介の「下藪ノ内」のほか、「中藪ノ内」や「上藪ノ内」もあったのですが、いずれもいまだ発見には至っておりません。今でこそ金沢の中心にある高岡町ですが、薮ノ内ってゆうくらいですから、きっと竹やぶの生い茂る場所だったんでしょうね。

さて、高岡町下薮ノ内のあったあたりの現在の町名、じつは今も高岡町です。「藪ノ内」がとれてしまいましたが、高岡町の名前は今もちゃんと生き残っております。
住居表示の基本パターンでもあるのですが、新しくできた高岡町は、元の松ヶ枝町、下堤町、上堤町、南町、長町河岸の一部など、周囲の町を取り込んで、町域を拡大しました。
また、金沢の町名は、以前にご紹介した森山町のほか、瓢箪町、材木町、菊川町など、小学校の名前(いわゆる校下名)になってる町の名前が生き残る法則というのがありそうな気がするのですが、高岡町は、小学校名である「松ヶ枝町」ではなく、中学校名(金沢市立高岡町中学校、現在の高岡中学校)のほうが残った珍しい例でございます。と思われます。
ちなみにその高岡町中学校は、昭和48年(1972年)に、当時の金沢競馬場跡地(本江町)に移転しました。元々高岡町中学校があった場所は金沢市文化ホールになっています。
そんな高岡町の本家、高岡市ですが、最近金沢市とシンポジウムを開くなどして旧町名復活に向けて動きをみせているそうです。今度高岡に遠征でもでかけてみようかな。

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高岡駅で見つけた忍者ハットリくん列車(ハットリくん藤子不二雄A先生です)
[参考文献:角川日本地名大辞典 17 石川県(1981年)
[発見日:平成24年3月25日]