野田寺町五丁目

f:id:cho0808:20120630171038j:plain:left:h300【消滅した年】昭和42年(1967年)
【現在の町名】寺町五丁目
【感想・雑記】10月15日から17日にかけて、「おしんめさん」であぶり餅神事が行われておりました。
おしんめさん(お神明さん)とは、前回もご紹介した金沢五社の一つである野町神明宮のことです。境内にある、樹齢千年超の大きな欅(ケヤキ)の木が天然記念物に指定されていることでも有名です。
また、あぶり餅とは、神前でついたお餅を、お祓いに使う御幣の形に串刺ししたものです。これを火にあぶって食べると病気にならないと言われています。いわゆる食べるお守りってかんじ。この厄よけ神事は、300年以上続く神事で、毎年5月と10月に行われています。
明治・大正の昔、このお祭りのときなどにおしんめさんの境内あたりにサーカス小屋が出て、サーカスが開催されていたそうです。このサーカスを幼稚園のときに見た詩人の中原中也が、「サーカス」という詩を書いたことでも知られています。詩の一節「ゆあーんゆよーんゆやゆよん」はブランコのゆれる音だそうですね。

中原中也は、若くして亡くなったイケメン系詩人なので(?)、比較的知名度は高いと思われます。「汚れちまった悲しみに…」で有名ですな。明治40年(1907年)、山口県吉敷郡山口町大字下宇野令村(現在の山口市湯田温泉)で生まれました。お父さんが医者で、陸軍の軍医であったため、大正元年(1912年)、中也が5歳のときに金沢に赴任することになり、2年間だけ滞在しました。
このときに住んだのが今回ご紹介する野田寺町五丁目(三番地)だったというわけです。(いやはや長い前置きでしたー)

今回ご紹介の野田寺町(のだてらまち)は一丁目から五丁目までありました。寺町通りが野田山に続いていることから野田寺町と呼ばれていたようですが、現在はただの寺町になっています。
ところで、中也の家のあった場所の向かいにある松月寺というお寺には大きな桜の木があり、中也の回想にも記されています。かつて金沢市内を走っていた市電の電停も、町名ではなく「大桜」電停と名づけられるくらい有名だったのですが、市電廃止後は、残念ながらバス停の名前に引き継がれることもなく、消えてしまいました。(桜の木はご健在ですよ)
ゆあーんゆよーん…
(訂正)
中也さんが書いたのは松月寺の桜についてではなく、自分の家にあった松についてでした。すみませーん。

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野町神明宮と大欅(上)
松月寺と大桜(下)
[参考文献]東京紅団http://www.chuyakan.jp/
[発見日:平成24年6月30日]