彦三五番丁

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【消滅した年】昭和40年(1965年)
【現在の町名】彦三町一丁目、彦三町二丁目、瓢箪町
【感想・雑記】みなさま、ごぶさたぶり。…なのにズル。これはズルですよね。だってこれハンガーだし!(←ちなみに見にくい人は写真をクリックして拡大してみてくださいね)
金沢編ってなんだかズル多いよねー。って声もちらほら聞こえてきそうな気がします。あ、でも金沢人がみんなズルだなんて偏見はもたないでください。ズルなのは私だけですから…。

クリスマス前の三連休というのに、ひたすら部屋の大掃除してました。そしたら押し入れの段ボールからひょっこり出てきたハンガーです。彦三五番丁が消滅したのが昭和40年(1965年)なので、ほぼ半世紀前のハンガーですが、実に作りがしっかりとしてます。ちなみにこの洋装店はもうすでにありません。電話番号の局番も1桁です。そんな金沢市内の局番もいまや3桁です。

彦三(ひこそ)はすでに一番丁、三番丁、六番丁、七番丁がご紹介済み、かつ現在も「彦三町」となって残っているので目新しさも10%以下ってかんじでしょうか?不破彦三さんのお屋敷があったところで、彦三の大火で知られる町です。そういえば、彦三六番丁のご紹介のとき、彦三の大火で焼けた金商(金沢商業学校)の所在地を六番丁とご紹介したような気がするのですが、たぶん、金商があったのは五番丁です。石川県立金沢商業高等学校の公式ホームページの沿革に「1937年10月 金沢市彦三5丁目に新校舎竣工、移転」と記載があります。これ、彦三5丁目じゃなくってきっと彦三五番丁ってことだよね?ちなみに1937年は昭和12年で彦三の大火のあとなので、おそらく明治37年の誤りだと思われます。

なお、彦三五番丁の金商校舎跡地には「金商彦三校舎記念碑」が建っています。ホワイトクリスマスとなった今年の金沢のクリスマスのイブの日に(←ひどい日本語だw)、わざわざこのホームページのネタのために写真を撮りにいってきました。なにやってんだ、オレオレ。

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彦三五番丁に建つ金商彦三校舎記念碑
[発見日:平成24年12月24日(撮影日:平成24年12月27日)]