玄蕃町二番丁

f:id:cho0808:20120205164740j:plain:left:h400【消滅した年】昭和41年(1966年)
【現在の町名】橋場町、材木町
【感想・雑記】ぎりぎり松の内というかすでに8日というか。まあいっか。ぎりぎりせーふということで。。。
新年あけましておめでとうございまーす!!今年もゆる〜く更新をしてまいります。持ちネタいっぱい駆け抜ける所存でございます。どうぞよろしくおねがいいたします。

さて、今週日曜日、本年3回目の初詣(三詣?)として、学問の神さま菅原道真公をおまつりする金沢神社へ行ってまいりました。今年の干支であり、金運と災難除けの神さまでもある白蛇竜神さまもあわせておまつりする神社です。今年の金沢検定合格祈願にはちょっと早いし、金運祈って残業増えたら嫌だし、心おだやかに家内の安全と健康の厄よけ祈願をしてきました。
金沢神社は兼六園の園内にあります。兼六園は大半が入場有料ですが、金沢神社は無料エリアにありました。よかったー。なにせ前回来たのが大学受験のときなので、すでに十有余年。。。全然覚えていませんでしたが、なんとここに、金沢の由来ともなった金城霊沢(きんじょうれいたく)があったんですね!!
「金沢」の由来だなんて、新年をかざるに実にふさわしい話題ではありませんか!
でも、金沢人なら耳が痛くなるほど聞かされている芋掘り藤五郎の伝説ですので、途中端折って(はしょって)お話ししませう。
『むかーしむかし、加賀の山科に芋掘り藤五郎という貧乏じゃがとっても正直者の若者がおった。(中略)芋についた砂金を泉でじゃぶじゃぶ洗ったことから、金洗いの沢、すなわち金沢となったそうな。おしまい。』
※端折りすぎた内容を詳しく知りたいかたはこちらをクリック→いもほり藤五郎

そして、もうひとつ。金沢神社のかたわらに、なにやら古くて重厚な木造の建物があったので、気になって近寄ってみたところ「兼六園管理事務所分室」とありました。これはもしや!はやる気持ちで建物の正面側にまわってみると、はたして!旧金沢藩医学館にして旧津田玄蕃邸ではありませんか!

ということで、ひさびさの長い前置きで恐縮いたしますが、新年一発目の今回は、津田玄蕃さんにちなんだ玄蕃町のご紹介となります。
玄蕃町は「げんばまち」と読みます。今回ご紹介の二番丁のほか、一番丁と三巡りがありました。三番丁じゃなく三巡りってなに?よくわかりませんね。いずれ調べます。兎にも角にも加賀藩の家老であった津田玄蕃さんの下屋敷のあったところです。といっても、玄蕃町は兼六園内にあったわけではありません。現在の橋場町の裏手一帯が玄蕃町になります。津田玄蕃邸も、金沢の大手門前にあったものが大正12年(1923年)に移設されたのだそうです。でも、大手門前は玄蕃町じゃないしなぁ。。。うーん。まあいずれ調べます。調べた成果のくわしいお話しはまた別の機会に発表することにしましょう。

それにしても、津田玄蕃邸、てっきり兼六園の有料ゾーンにあると思っていたので、玄蕃町をご紹介するタイミングで多少の出費を覚悟してましたが、まさか無料ゾーンにあったとは。こりゃラッキー☆
さっそく金運の神、白蛇竜神さまのご利益かしら?(といっても兼六園入園料の300円…)

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金城霊沢(上)
旧津田玄蕃邸(下)
[発見日:平成24年2月5日]