堀込町

f:id:cho0808:20130203122001j:plain:w350 
【消滅した年】昭和38年(1963年)
【現在の町名】寺町四丁目
【感想・雑記】第70代横綱日馬富士関の全勝優勝で幕をとじた初場所でしたが、高見盛関の引退などさびしいニュースもありました。しかしなんといっても、場所中に第48代横綱大鵬納谷幸喜さんがお亡くなりになったのはショックでしたね。心よりご冥福をお祈りします。わたしにとっては「巨人・大鵬・玉子焼き」ではなく、大鵬親方でしたけどね。大鵬部屋のお関取といえば、元関脇巨砲関を思い出します!
大鵬親方は、独立騒動で押尾川部屋を破門となった阿武松親方(元関脇益荒雄)を部屋付の親方に迎え、阿武松部屋の創設に尽力されたとのこと。巨砲やら益荒雄やら大関候補と言われた力士ばかり。千代の富士世代にはなつかしい名前ばかりですなー。
ちなみに「阿武松」、お相撲好きにしか読めない難読の年寄名跡ですよね。「おうのまつ」と読みます。第6代横綱阿武松緑之助の四股名がそのまま年寄名跡となってるのですが、この6代横綱阿武松緑之助こそ、われらが石川県の生んだ偉大なる横綱なのでございます。
阿武松緑之助こと佐々木長吉は、寛政6年(1794年)頃、能登国鳳至(ふげし)郡七海(しちみ)村(現在の鳳珠郡能登町大字七見)に生まれました。江戸に出て武隈親方に入門し、文政11年(1828年)に横綱となりました。阿武松関は長州藩のお抱え力士だったそうで、阿武松という四股名も、山口県萩市にある阿武の松原(あぶのまつばら)に由来するらしいです。

ところで萩市といえば、金沢市の寺町台について、昨年末の12月29日にようやく重要伝統的建造物群保存地区選定が文科省に告示されました。萩市京都市と並んで4件目の選定は全国最多タイの選定件数です。
寺町台は、すでに何度かご紹介してますが、かつて野田道とよばれた現在の寺町通りと、旧鶴来街道沿いに大きな寺院群が形成されており、前田家ゆかりのお寺もたくさんあります。ちなみに野田道の終点である野田山には前田家の墓所がございます。

と、ここまで、旧町名のことをすっかり忘れて相撲談義やら何やらに花をさかせてしまいました。気を取り直して(?)旧町名のご紹介といきましょう。今回ご紹介するのは堀込町です。読み方は「ほりごめ」ではなく「ほりこみちょう」だそうです。設置年が書いてないデンチュウで少し残念です。野田道沿いにあるひときわ大きな立像寺さんの少し先、おせんべい屋さんの角を曲がったところにある、せまい小路沿いの町立てです。お堀の形跡もなく町名の由来は不明です。
残念ながら堀込町の情報は以上のとおりなので、また相撲の話にもどります。大横綱阿武松緑之助、じつは今ほどお話しに出た立像寺(りゅうぞうじ)に眠っているのです。ここでようやく話がつながりましたね。
境内には立派なお墓がたってます。観光などで金沢にお越しの際は、ぜひとも重伝建地区選定の記念にお立寄りいただいてはいかがでせう。
最後になりましたが、阿武松緑之助の故郷である鳳珠郡能登町出身で、しかも阿武松部屋十両、丹蔵関。初場所は9勝6敗で勝ち越しましたー!早く幕内にあがって大横綱阿武松緑之助のようなすばらしいお関取になってほしいものです☆あと七尾市出身、三段目鰤の里もがんばれー。

f:id:cho0808:20120630171958j:plain:w210 
f:id:cho0808:20130203120253j:plain:w210
野田道(寺町通り)沿いに建つ法光寺と立像寺(上)
立像寺・阿武松緑之助のお墓(下)
[参考文献]市民が見つける金沢再発見、『角川日本地名大辞典 17 石川県』角川書店(1981)
[発見日:平成25年2月3日]