一本松

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【消滅した年】昭和39年(1964年)
【現在の町名】笠舞三丁目、石引二丁目
【感想・雑記】東日本大震災から早や2年の月日がたちました。震災でお亡くなりになられた方のご冥福をあらためてお祈りもうしあげます。第二のふるさと宮城、そして東北のために何もできていない自分。情けない思いでいっぱいです。。。わたしの友人のハンコ職人はあの「奇跡の一本松」で陸前高田市の市長印をつくる活動に取り組んでその活躍が新聞にも取り上げられていました。すごいなあ。まだこんなわたしにもできることあるのかしら。

そんな今回は、陸前高田「奇跡の一本松」にちなんで、「一本松」のご紹介です。もちろん読み方は「いっぽんまつ」です。

犀川方面から小立野丘陵にのぼる坂がいくつかございますが、そのうちのひとつ、二十人坂をのぼったところに今回ご紹介する一本松がありました。かつては笠舞一本松とか小立野一本松とか呼ばれたそうです。
ちなみに一本松町ではなく一本松です。道のかたいっぽうにしか家がなかったので一方町とよばれていたのが一本松になったのだそうです。だから「町」が付きません。
昔の町割りは、「向こう三軒両どなり」ともいうように、道路をはさんだ両側に家が並び、おとなりさんとおむかいさんがひとつの同じ町となった両側町が基本形でした。しかし何らかの理由で道の片側にしか家がないものについては片側町とか片原町などとよばれたそうです。一本松は一方が小立野丘陵の崖があったからなのか片原町(一方町)になっていたようです。
また一本松は、古い町並みに珍しく、二十人坂と立体交差をした坂の下に町がありました。これは金沢でも珍しいらしいです。二十人坂の立体交差した箇所にかかる一本松陸橋にはふらっとバスの「一本松陸橋」バス停があります。

二十人坂は、坂を登りきったところにある二十人町に由来する名前の坂です。以前にご紹介した五十人町と同様、足軽二十人組の組地があったことが町名の由来ですが、まだ二十人町は発見できておりません。この二十人坂には道路の両側に桜の木が植えられていて、あと数週間で素晴らしい桜坂が見られそうです。

被災地にもまもなく三度目の春はやってきますが…復興はまだまだです。まだまだ。

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一本松陸橋と一本松町内(上)
二十人坂の一本松陸橋バス停から見る夕景(下)
[発見日:平成25年3月9日]