梅ヶ枝町

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【消滅した年】昭和39年(1966年)
【現在の町名】城南二丁目、菊川一丁目、菊川二丁目
【感想・雑記】先日は、前田家の祖先とされる菅原道真公が流刑された地、太宰府太宰府天満宮に行ってきました。太宰府では、以前にご紹介した飛梅町ゆかりのご神木「飛梅」も見てきました。京の都からはるばる道真公を追って空を飛んできたという伝説の梅の木ですよ。何ともびっくりですね。

さてさて、太宰府といえばなにはともあれ梅ヶ枝餅です。参道にはあまたの梅ヶ枝餅屋さんが軒を連ねています。会社の先輩が、「こないだ買って食ったらびっくりするくらいうまかった」と言ってたので、食ってみたら本当にびっくりするくらいうまかったです。ついでに家族にもお土産で買っていったら、うまくてびっくりしてました。まあ3〜4人がびっくりしたので、そのくらいうまいということです。福岡にいらっしゃる機会があれば是非ともお召し上がりください。博多駅にも売ってます。

そんな今回ご紹介する旧町名は、梅ヶ枝餅にちなんで梅ヶ枝町です。ただし「うめがえまち」なのか「うめがえちょう」なのかよくわかりません。なぜならば、旧町名情報の充実した金沢市のホームページにまったく情報がないばかりか、旧町名のお墓である「まちしるべ標柱」自体が存在しないのです。きっと当局がひた隠しにしたい秘密があるのでしょう。Xファイルのモルダー捜査官の気分でとりあえず現場に急行してみました。

梅ヶ枝町は、金沢市立菊川町小学校の正面玄関付近にあった町名です。ちなみに菊川町(きくがわちょう)も、梅ヶ枝町と同じく菊川町小学校付近にかつて存在した町名です。梅ヶ枝町と同じくらい小さな町でしたが「小学校名(校下名)になった町名は残りやすい」の法則により、菊川一丁目、二丁目が残っています。ただし、これまたよくある法則で、「町」の字はとれて「丁目」が付きましたけどね。つまり、もし菊川町小学校が梅ヶ枝町小学校だったら、梅ヶ枝一丁目や二丁目として現代に残っていたかもわからないということです。そして、かつては小さな町だった菊川町は、菊川町校下の個性的な名前の町をことごとく飲み込んで肥大化してしまいました。なんとも非常に残念な話であります。

ところで、現地に急行してみたものの、当局が隠蔽しようとしている情報は結局見つからず、残念タイプの電柱番号札をかろうじてひとつ発見したところで捜査打ち切りとなりました。失意のうちに自宅に帰り、お土産に買って帰った梅ヶ枝餅をチンして食べたことはいうまでもありません。
なお、冷たくなった梅ヶ枝餅をチンする場合は、電子レンジではなくオーブントースターでチンすることをおすすめいたします。

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太宰府天満宮とご神木「飛梅」(上)
チンした梅ヶ枝餅(下)
[発見日:平成25年4月29日]