三所町

f:id:cho0808:20121118161037j:plain:w350 
【消滅した年】昭和39年(1964年)
【現在の町名】宝町、石引一丁目
【感想・雑記】三所攻め。アソコとアソコとアソコを一度に攻める技のこと。
イヤラシイ想像をしたあなた。はいアウト。舞の海さんを想像したあなた。はい正解!
三所攻めは、右足と左足を内掛け(外掛け)と手で攻めて、最後に頭で相手の胸を押す技です。たいへん珍しい決まり手で、平成になってから2例しか見られませんが、いずれも舞の海さんが決めています。

てなわけで、本日ご紹介する町名は三所町です。読み方は「みところまち」です。町名の由来は、三ヶ町の合併があったからとも、白山三所権現尼の三仏画があったからとも言われているそうですが、いずれも確証のある説ではないみたい。万治2年(1659年)、材木町から仰西寺(ごうさいじ)が移転してきたため、藩政中期ごろには仰西寺町と呼ばれていましたが、文政6年(1823年)に三所町と改称されたのだそうです。場所は金沢南東部の小立野台地。現在の金沢大学病院付近にあった町名です。仰西寺さんの前に立つ電柱にて、昭和28年(1953年)式のカマボコ型電柱番号札が発見できました。これまで発見した最古の電柱番号札かも?ちなみに大学病院は、明治38年(1905年)に殿町から移転した石川県金沢病院がもととなっています。さらにその石川県金沢病院のもとを辿れば、以前にもご紹介した津田玄蕃邸に開設された医学館にさかのぼるのだそうです。

さてさて、気づいたら5月も終わりです。大相撲も夏場所が終わりました。大関稀勢の里が健闘しましたが、残念ながらひさびさの日本人優勝ならず。やはり白鵬はさすがでしたね!
金沢でも先週末、相撲の甲子園、伝統の高校相撲金沢大会が開かれました。今年は鳥取代表の鳥取城北高校が優勝しました。金沢市立工業高校は団体3位。しかし!個人戦金沢学院東高校の黒川選手が優勝をかざりました。おめでとう!

この高校相撲、アマチュアのスポーツ大会としては最古の全国大会なのだそうです。今回が第97回大会です。第1回大会は大正4年(1915年)。ちなみに高校野球も第1回大会が大正4年開催ですので、数ヶ月の差で日本一、ということになるのでしょうか?
現在は金沢北東部にある卯辰山相撲場で開催されていますが、昭和35年(1960年)の第45回大会までは我が生まれ故郷、金石の海岸の特設会場で開かれていたそうです。でも今は金石海岸も大規模な埋め立て工事がすすみ、何とも寂しい情景になってしまいました。
「海原は我らの心」
わが母校、金石町小学校の校歌の一節が胸に染みます。なお、この校歌は金沢三文豪の1人で、これまで唯一ご紹介していなかった室生犀星の作詞です。ということで次回は室生犀星についてお話しができればと思うしだいでございます。ではでは。

(追伸)仰西寺は山号を宮腰山といいます。この宮腰とは金石の昔の町名です。何でも仰西寺は宮腰で開山し元明寺と称したお寺だったそうです。

f:id:cho0808:20110215151632j:plain:w210 
f:id:cho0808:20130601115208j:plain:w210
金石の海岸(上)
金石で開山した宮腰山・仰西寺(下)
[参考文献:小立野公民館HP、角川日本地名大辞典 17 石川県(1981)]
[発見日:平成24年11月18日]