川岸町

f:id:cho0808:20120520165242j:plain:left:h320【ほぼ消滅した年】昭和39年(1964年)
【現在の町名】幸町、菊川二丁目、川岸町(一部)
【感想・雑記】6月最後の日となった日曜日、金沢では氷室開きが行なわれました。
氷室開きとは、冬場に雪を詰めた天然の倉庫(氷室)から、氷になった固まりを取り出し、お殿さま(山野市長?)に献上する儀式です。
現在の氷室は、金沢の奥座敷ともいわれる、湯涌温泉にあります。昭和30年代に一度は廃れたのですが、湯涌の観光協会が昭和61年(1986年)に復活させました。最近は観光目的で6月の最終日曜に氷室開きが開催されているのですが、今年は暦のめぐりがよくたまたま最終日曜と6月末日が重なりました。

さてさて本題、今回ご紹介するのは川岸町(かわぎしまち)です。文字どおり、犀川右岸(東岸)の川岸の町です。本多町〜新竪町から寺町・W坂につづく道「本多通り」にかかる桜橋のたもとにありました、、、というか今もあります。じつは現役町名なのです。
以前にもご説明したのですが、本多通り北西の一画は、金沢の旧市街地では数少ない住居表示未実施地区。つまり、今も昔ながらの町名の残る、いわば「金沢の牛込地区」です。本多通り南東側は、昭和39年(1964年)に住居表示が実施されて幸町などとなってしまいました。そのため、こちら側の旧町名はほぼ消滅したのですが、川岸町は一部が本多通りの北西側にかかっていたため、大部分は消えてしまったものの、ごく一部の町域が命からがら生き残ったというわけです。
ただし、いくら川岸町が現役といっても居住者ゼロ。今や駐車場と犀川河岸の緑地だけの町となっています。
この緑地のある金沢市川岸町47番地には、平成21年(2009年)の6月末日=氷室開きの日までは国民生活金融公庫(旧国民金融公庫)金沢支店のビルがありました。しかしながら、政府系公庫の統合とともに役割を終え、ビルも解体されてしまいました。そして誰もいなくなった、というわけです。

ところで、川岸町のお隣り、「金沢の牛込地区」に残る中川除町には、先日ご紹介した室生犀星の「あんずよ花着け…」の文学碑がたてられています。犀星の名前の由来は犀川の西、"犀西"をもじって名づけられたものですが、これは同郷の漢詩人、國分犀東さんをオマージュして自ら付けた名前とのことだそうです。

室生犀星三部作の最後に、衝撃の(?)電柱番号札を発見しましたのでご紹介いたします。先日、芳斎町のご紹介のさいに「芳才町」となっていた電柱番号札を発見したことをお話ししましたが、今回なんと「才川」番号札を発見したのです。このままじゃ「室生才星」を発見する日も近いのではないでしょーか。。。

美しき川は流れたり
そのほとりに我はすみぬ
春は春、なつはなつの
花つける堤に坐りて
こまやけき本の情けと愛とを知りぬ
いまもその川のながれ
美しき微風ととも
蒼き波たたへたり
室生犀星犀川

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国民金融公庫跡の緑地から撮った犀川の風景(上)
川岸町の駐車場(中)
衝撃の「才川」電柱番号札(下)
[参考文献:室生犀星記念館でもらった資料など]
[発見日:平成24年5月20日