【福岡市】櫛田前町

f:id:cho0808:20130427111104j:plain:w250 
【消滅した年】昭和41年(1966年)
【現在の町名】冷泉町
【感想・雑記】気づけば、はや8月です。
ちょうどわたくしの地元、金石町では大野湊神社の夏の大祭が行なわれておりました。最終日の本日日曜日は、神さまが夏の避暑地、通称日和山から神社にお帰りになる行列が執り行われました。

大野湊神社の創建は奈良時代神亀4年(727年)にもさかのぼりますが、そのちょうど30年後の天平宝字元年(757年)に創建されたのが、博多総鎮守として知られる「お櫛田さん」こと櫛田神社(くしだじんじゃ)です。

博多の街は、古くは遣唐使使節が出入港する外交上の拠点として奈良時代から栄えてきた歴史ある街です。以来1250年余、戦火により荒廃した時期もありますが、大陸との貿易の拠点であった博多の街は商人の街として栄えてきました。
一方の福岡は、秀吉公の側近として仕えた軍師、黒田官兵衛こと黒田孝高(如水)の子、黒田長政関ケ原の合戦の手柄によって筑前国52万石を封じられ、慶長5年(1600年)に福岡藩が成立しました。なお、福岡の地名は、黒田氏発祥の地といわれる備前国邑久(おく)郡福岡村(現在の岡山県瀬戸内市長船町大字福岡)に由来します。
長政公は、戦火から復興しつつあった太閤町割りの博多の街から、さらに那珂川を西に渡った那珂郡警固村福崎(現在の福岡市中央区)の地に広大な福岡城を築城しました。
加賀前田藩の歴史は1583年にはじまりますので、福岡黒田藩もほぼ似たような時代背景に成立した城下町だということです。
このように、奈良時代からある商人の街・博多と、ほぼ江戸時代にできた武家の街・福岡の対立の歴史がはじまります。この2つの地域は、那珂川より東の地域を博多部、福岡の街のある那珂川の西を福岡部と呼んで区別してきたりもしました。

さて、時代は明治に入り、明治22年(1889年)に施行された新しい市町村制に移行するにあたって、新しい市の名前を福岡市にするか博多市にするかの大論争がおこったそうです。市名変更の大詰めの議会では、博多市を主張する博多部の議員が13名、福岡市を主張する福岡部の議員が13名と同数になり、最終的に、旧福岡藩の武士であった議長の採決により、福岡市に決まった、という経緯があるとのことでした。
それ以降、博多の呼び名は、「博多駅」のほか、さまざまに残ってはいるものの、行政的名称としてはいっさい使われることはありませんでした。しかし、昭和47年(1972年)、福岡市が政令指定都市になったときに博多区が誕生し、はじめて行政的名称として使われるようになりました。ようやく博多の名前が陽の目を見た瞬間です!

以上、このように、博多と福岡には知られざる遺恨の歴史があったのです。
そんな福岡人ならざる博多人の信仰の対象であり、誇りでもある「お櫛田さん」こと櫛田神社の前にあった町、櫛田前町が今回ご紹介する博多の街の旧町名なのです。

最後に、来年(2014年)の大河ドラマが「軍師官兵衛」なのをご存知でしょうか?黒田官兵衛を演じるのはV6の岡田くんです。
金石の祭りが終わると正月がくるまでがはやい、とむかし母が言ってましたが、最近その感覚分かるようになってきました。年かな。。。

f:id:cho0808:20130715085747j:plain:w210 
f:id:cho0808:20130427092148j:plain:w210
櫛田神社(その1)(上)
櫛田神社(その2)(下)
[発見日:平成25年4月27日]