上田町
【消滅した年】昭和41年(1966年)
【現在の町名】森山二丁目
【感想・雑記】上田町(うえだまち)は、かつて森山町校下に存在した町名です。現在は、全域が森山二丁目となっています。森山町小学校前の通り(森山町二番丁)から国道359号(旧国道159号)に出るところがちょうど坂になっているのですが、その坂をのぼる少し手前を左折したあたり一帯が上田町です。町名の由来ですが、馬之助さんはいっさい関係ありません。「文政6年(1823年)、山の上町から分立したもので、かつてこの辺りが用水の上方にある田地であったことからこの名がついた」と、金沢市が建てた町名のお墓「まちしるべ標柱」の記述を丸写ししてみました。ところでこの用水って何用水?うーん。。。おそらくきっと小橋用水のことなのかなあ。
さてさて、今日の本題は、さきほど少しふれた坂についてのお話しです。坂といってもちょっとした勾配といった程度のものなのですが、ちゃんとした名前がついておりまして、その名を「あめや坂」といいます。しかもこの坂は、国道に分断されてはおりますが、横断歩道のさきにある山の上町一丁目の光覚寺山門まで続いています。
戦前まではこの坂の角地に間口の広い飴屋があったといいますので、それが由来でしょうか。そして、このあめや坂上にある光覚寺は、「飴買い幽霊」の怪談話でたいへん有名なお寺となっています。
「飴買い幽霊」は、全国的に残る怪談話のひとつでご存じの方も多いと思います。金沢では、光覚寺のほかにも、野田寺町の立像寺、泉寺町の西方寺、金石下寺町にある道入寺など、いくつかのお寺に伝わっているとのことでした。
なお、どんなお話しなのか知らない人は、金沢市のホームページに紙芝居形式でご紹介されていますのでご覧ください。→こちら。
この紙芝居でも紹介されているとおり、金石下寺町の道入寺には、幽霊画で有名な円山応挙作といわれる飴買い幽霊の掛け軸が残されていて、毎年3月15日と8月のお盆に飾られているそうです。ちなみに、光覚寺や西方寺の境内には、飴買い地蔵というお地蔵さまがおまつりされています。こちらはいつでも見られるよ。
あめや坂や飴買い幽霊にみられるように、この界隈にはかつて、飴屋さんが何軒もあったそうなのですが、今はもうありません。これらはいずれも小橋町の俵屋さんののれん分けか弟子のお店だったとのことです。
…とここまで、いつものとおり上田町とはあまり関係ない展開になってしまいました。最後に、上田町情報としましては、上田町のお宅には上田町当時の表札を掲げているお宅が何軒もあり、非常に上田町“愛”の感じられる住宅街であったということをつけ加えたいと思います。
あめや坂〜左に曲がると上田町・正面奥に光覚寺〜(上)
山の上町一丁目の光覚寺(中)
金石下寺町の道入寺(下)
[参考文献:市民が見つける金沢再発見]
[発見日:平成25年10月6日]