【富山縣西礪波郡】戸出町古戸出

f:id:cho0808:20140706164559j:plain:h350:left【消滅した年】昭和41年(1966年)
【現在の町名】高岡市戸出町四丁目、高岡市戸出町五丁目
【感想・雑記】気づいたら七夕はおろか、夏自体が終わろうとしている今日このごろです。
今週とうとう北陸新幹線の開業日が発表されました。というか発表されてなかったんですね。平成27年(2015年)3月14日です。この夏、新幹線の試験走行もされているみたいで、えらい大騒ぎとなっていました。
新幹線は、金沢を出発すると約15分ほどで新高岡駅に到着します。高岡駅から2kmほど南に離れたところにあるため、高岡から伸びる支線、城端線の新駅も建設されているようです。

この城端線ですが、高岡から城端(じょうはな)までを約50分で結びます。城端は以前にもご紹介したことがあります。むぎや祭りで有名な城端町、現在は平成の大合併南砺市となってしまいました。
城端線の前身は中越鉄道という私設鉄道で、富山県内初の鉄道として明治30年(1897年)に開業しました。なんでも、富山県内のみならず日本海側で最初に開業した私設鉄道らしいですよ。
砺波平野という肥沃な穀倉地帯と伏木(ふしき)港とを結ぶ路線として地元の人々の手によって設立した中越鉄道ですが、大正9年(1920年)に国有化されました。
ちなみに、戸出町にある戸出駅の駅舎は、中越鉄道開業時からの駅舎で、明治29年(1896年)10月10日に建てられました。秋田以南の日本海側最古の駅舎だそうです。

ところで、城端線には「油田駅」という駅があります。おー!富山に油田!朗報でしょうか?富山がドバイになる日も近いのでしょうか?
もちろんそんなはずはなく、実は「ゆでん」ではなく「あぶらでん」とよみます。この油田というのは、ともしびの油、灯油の田のことで、菜種油やエゴマ油が灯油として使われました。特にエゴマは中世、鎌倉時代のころから搾油用に栽培されていたといいます。戸出の由来も「灯油田」(とうゆでん→とゆで→といで)が由来とのことで、このあたり一帯がエゴマの産地だったことがうかがえます。(菜種は江戸時代に入ってからで、歴史を考えるとエゴマ説が有力?みたいです)

元和3年(1617年)に、加賀藩に戸出野の開墾を願い出て許可された川合又右衛門は戸出に新しい村を開きますが、このとき又右衛門が開いた戸出新村(戸出村)に対して、古くからある灯油田の集落が「古戸出村」と呼ばれるようになったそうです。
この古戸出村が、明治22年(1889年)、近代の町村制施行によって戸出町が誕生したときに「西礪波郡戸出町字(大字)古戸出」となったという歴史があるのですよ。
なお、川合又右衛門が開いた戸出村には、前回ご紹介したような御旅屋が建ち、商家が建ち、月に6回開かれる六斎市が開かれ、街道(上使街道)の宿場町のような発展を見せましたが、町への昇格はとうとう許されなかったのだそうです。
(町になっていたら、戸出町内の本町、寺町、巴町、馬場町などの通称地名が正式な地名となっていたかもしれませんね。)

そのような発展を見せた戸出に、加賀藩の藩蔵である戸出御蔵(といでおくら)が置かれました。御旅屋門のある現在の戸出コミュニティーセンター、旧ハニーにあった大きな蔵で、砺波平野では最大の蔵でした。このように、加賀百万石の石高は、金沢(石川)だけでなく高岡や富山の肥沃な穀倉地帯によって支えられたといえます。
何かと仲のあまりよろしくないようにみえる富山、石川の両県ですが(?)、新幹線開業で百万石の発展を見せたころの勢いを北陸にとりもどすべく、te o toriatteがんばっていかないと!どんどん東京に人が流れてしまいそうです。。。

さてさて、次回。いつになることやらの連載中ですが、戸出町シリーズのラストをお送りしたいと構想しております。

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平成27年3月14日開業の新高岡駅(上)
日本海側最古(秋田以南)の駅舎、戸出駅(中)
戸出御蔵跡の戸出コミュニティーセンター(下)
[参考文献:一路一会ウィキペディア(戸出町)
[発見日:平成26年7月6日]