【東京市下谷區】竹町

f:id:cho0808:20150524001718j:plain:left:h300【消滅した年】昭和39年(1964年)
【現在の町名】台東区台東二丁目、台東区台東三丁目、台東区台東四丁目
【感想・雑記】わたし、生きてます。約9ヶ月ぶりのご無沙汰でございます。いかがおすごしでしょうか。金沢だけにとどめておけばよかったものを、高岡にまで手を(足を)のばしてしまい、ネタに困ってスランプにおちいるとともに、人生のしかるべきイベントがあって1人で自由に行動できない身分となったうえに、あたらしい住居が手狭でパソコンを実家に置いたままになってしまったと同時に、仕事がバカみたいに忙しくなってきたという言い訳をつらつら書き連ねてしまいました。深夜の弁明、最後の言い訳です。

はてさて、日記再開にあたって、只今東京に滞在中です。久々にゆっくりお休みがとれたので、台東区を街歩きしてきました。そういうわけで、本日は一度初心にかえってみたいと思います。

思へば、横浜勤務となり、思いきって一眼レフカメラを購入して街歩きをはじめたのが平成20年(2008年)。その頃は、旧町名の存在もなんだかぼんやり認識してたものの、お江戸八百八町ともいわれる消滅した町々の存在など知る由もなかった、まさに牧歌の時代でした。況んや金沢をや。
そんなこんなで2年ほどたったある日、ぐうぜんにも日本橋界隈で「日本橋區〜」と書かれた住所表示板を発見してしまったのです!日本橋區!そんな区があったのかと。それ以来わたしは東京15区の存在を知り、己の無知を恥じつつも、いつしか東京都区内に点在するであろう東京15区の遺産を探して歩くという旅に出ることになったのです。それからは苦難の連続でした。日照りや嵐の中、来る日も来る日も足を棒のようにしてかけずりまわる日々。そのようななか、息もたえだえにすがりついたネットの世界には驚くべき先人がいらっしゃったのです。それが「旧町名をさがす会」の102soさんでした。
102soさんのブログには東京15区のみならず、わたしの知らない地名がワンサカサッサ、ワンサカサッサ。イェーイイェーイ♪と弘田三枝子さんもシルビィバルタンも思わず口ずさんでしまうようなめくるめく世界が広がっており、わたしは夢中になって旧町名の世界にひかれていきましたとさ。

ということで、うそ、大げさ、まぎらわしい謳い文句はあったかもしれませんが、要するにわたしの原点は東京15区の遺産探しにあるのです。その後、故郷金沢に帰ることになって今に至るわけなのです。わたしのブログ(日記?)は102soさんのご厚意により、勝手に、同じ「旧町名をさがす会」を名乗らせていただいており、たいへん恐縮いたしておるわけでございます。

今回ご紹介する「下谷区竹町」は、まさに東京15区のうちの1区であるとともに、ご本家のブログがはじまった約1ヶ月後、102soさんも血気盛んであった2010年7月に掲載されたものと全く同じ「遺産」でございます。そのときの画像は平成20年(2008年)に発見されたもののようですが、本日平成27年(2015年)5月23日現在も無事現存していることを確認してまいりました。たいへん安堵いたしました。

ちなみに、下谷区というのは上野のあたりで、戦後、下谷区浅草区が合併して台東区が誕生しました。下が谷で上が野とは是如何。そのうちちゃんと調べます。
なお、竹町の読みは「たけちょう」が正しいようですが、同時に発見したデンリョクは「タケマチ」になっていました。近くに佐竹家のお屋敷があり、界隈に、佐竹家のお屋敷の竹の門があったからとも伝えられている竹町でございました。
本日、台東区一帯ではモノマチセブンというイベント開催で賑わっており、街歩きしながら、本家さがす会に未掲載の「西町」「二長町」「浅草小島町」「浅草三筋町」なども発見することができました。残りわずかともいわれている東京のさがす会ですが、102soさんにもぜひ細々更新を続けていただきたいとねがいつつ、夜もふけてきたのでこのへんで。ちなみに金沢編はまだ持ちネタあります。こちらも細々とがんばります。

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「タケマチ」のデンリョク(上)
モノマチセブンのイベントのちらし(下)
[発見日:平成27年5月23日]