台所町四番丁

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【消滅した年】昭和39年(1964年)
【現在の町名】菊川一丁目
【感想・雑記】 「先日の12月14日、映画『武士の献立』が公開され、さっそく見に行ってきました」との書き出しで下書きしたまま、結局映画を見ずに2年もの月日がたってしまいましたが、今年のお正月、ようやくレンタルして見ることができました。

『武士の献立』は、加賀藩に仕えた実在の侍、舟木伝内・安信親子を描いた映画で、『武士の家計簿』に続く、加賀藩が舞台の『武士の○○』シリーズ第2弾です。
舟木伝内は、加賀藩の「御台所御用役」で、その最高職であった「御膳方棟取」つまり加賀藩お抱えの料理長を務めた人物だそうです。人々は、刀の代わりに包丁を持つこれら身分の侍たちを、揶揄と親しみをこめて「包丁侍」と呼んだとかいうことです。伝内・安信親子は「ちから草」や「料理無言抄」といった書物を残し、加賀料理の伝統を後世に残しているわけです。とまあ、物語の内容は、ぜひご自身でご覧いただくこととしまして、早々に旧町名のご紹介にうつりましょう。

今回ご紹介する町名は「台所町」です。藩政期からの町名で、台所付足軽のお屋敷など組地があったことから名付けられました。つまり「包丁侍」たちのお屋敷群のあった場所ということです。猿丸神社から上菊橋に向かうところにあるのですが、古地図を見ると実に面白いんです。はらっぱにぽつんと不自然な形であらわれる長方形、かつ碁盤の目型の一区画が見えるのですが、この場所こそが台所町なのです。ここは、かつて石川郡笠舞村であった場所で旧市街の外れにあたります。郊外に作られた団地、みたいなものだったのでしょうか。町の歴史に詳しい方がいらっしゃったら、ぜひとも教えていただきたいです。

さて、舟木家のお屋敷が台所町にあったかどうか気になるところですが、グーグル先生にたずねてもお答えはありませんでした。実は金沢にはほかにも「板前町」(現・天神町二丁目)という町がありまして、こちらにも「包丁侍」が住んでいたようです。台所町か板前町か、どちらかの町に舟木家のお屋敷があったのでしょうか。いずれの町も「武士の献立」の世界、加賀藩の栄華を今に伝えるステキな町名だと思うのですが、東京オリンピック前後の町名粛清とともに消えてしまいました。
粛清といえば、「武士の献立」のもう一つの主題でもあった加賀騒動に触れないわけにもいきませんが、お時間となりましたので、次回乞うご期待、ということで、今年もよろしくおねがいいたします。

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台所町界隈(上)
古地図に見る台所町(中)
加賀料理 鴨の治部煮(下)

[発見日:平成24年5月20日