味噌蔵町東丁

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【消滅した年】昭和41年(1966年)
【現在の町名】兼六元町、橋場町、材木町
【感想・雑記】 4年間、旧町名をさがす活動を続けてきまして、旧町名にも何となく格のちがいというか、ご贔屓の町、タニマチの町がみえてくるんですよね、ということで、わたくしの独断と偏見でつけた平成28年春場所の旧町名番付を発表したいと思います。


横綱 味噌蔵町
大関 六斗林
関脇 観音町
小結 松ケ枝町
前頭 横安江町
前頭 伝馬町
前頭 殿町
前頭 今町
前頭 中町
前頭 桶町
前頭 蛤坂町

西
横綱 馬場
大関 大衆免
関脇 富本町
小結 穴水町
前頭 母衣町
前頭 河原町
前頭 三構
前頭 石浦
前頭 森下町
前頭 塩屋町
前頭 象眼

いかがでしょう?金沢には小学校の校下名になってる町名は消えずに残るという暗黙ルールがあるっぽいのですが、なぜか例外的に消えたのが、味噌蔵町、馬場、松ケ枝町。でもこうしてみると、やっぱり校下名になってる町は、存在感というか風格がありますよね。バス停、交差点、商店街の名前に残ってる町もしかり。なかでも、味噌蔵町は野球でいえばエースで四番、戦隊モノでいえばレッドです。(そこのアナタ、付いてこれてますか?)あと、大関の二人は名前がいいっすよね。六斗林と大衆免。北天佑とか麒麟児にも並ぶかっこよさです。そのほか、母衣町、穴水町象眼町、石浦町、森下町(もりもとまち)なんかは金沢らしい旧町名ってかんじがします。(ただし母衣町は松江市に現存します)
藩政期の金沢の町は、本町、地子町などの格があり、大半の町は地子銀とよばれる税金を課せられた地子町でした。そのなかで最上位の本町と呼ばれたのが、石浦町、今町(上今町、下今町)、桶町、河原町塩屋町、森下町などだったそうです。さてさて、みなさんの自分番付はどうなりますでしょうか。ではまた、、、

…てなかんじで終わりそうな展開でしたが、本題はここからです。今回ご紹介するのは、東の正横綱、味噌蔵町六町のひとつ、味噌蔵町東丁です。以前にご紹介した味噌蔵町裏丁からの改名で、昭和30年(1955年)に誕生した古くて新しい町ですが、昭和41年(1966年)になくなったので、たった11年間しかなかった町です。よくぞ見つかった!万歳!味噌蔵町東丁!
場所は、兼六元町を南北に走る通りの一番東の筋、ちょうど源太郎川(東外惣構堀の一部ですね)に沿った町立てです。川の向こうは旧材木町で、オコ谷往来へと至る街道沿いの町です。

と、ここまでくれば、金沢市民の方々にはお分かりでしょう。なぜ今回、味噌蔵町と材木町の町境である味噌蔵町東丁のご紹介となったのか?そうなのです。金沢市立味噌蔵町小学校と金沢市立材木町小学校が統合されて、まもなく閉校となります。先日15日に最後の卒業式を迎えました。あと数日で味噌蔵町小学校は約108年、材木町小学校はなんと約143年の長い歴史に幕を閉じます。今後は新たに金沢市立兼六小学校として生まれ変わります。一昨年、野町小と弥生小がなくなって泉小が誕生したときも言った気がしますが、新しく誕生する兼六小には、これから100年、200年と新たな歴史を刻んでほしいと思う晴れがましい気持ちの反面、町名の消滅にも通ずる一抹のさびしさがあります。

藩政初期にあったという軍用の味噌蔵が由来の味噌蔵町ですが、その名を残すものがまた一つ失われていきます。平成21年(2009年)の下新町、上堤町の復活以来、7年間止まったままの旧町名復活ですが、わたくしとしては、ぜひとも横綱の味噌蔵町が、小学校閉校の代わりに復活してくれることを期待しつつ、本日のご挨拶とかえさせていただきます。次回は材木町校下のあの町ですよ。乞うご期待?

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兼六小学校として生まれ変わる味噌蔵町小学校(上)
味噌蔵町校下にある名勝兼六園(下)
[参考文献:いいね金沢(金沢市ホームページ)
[発見日:平成24年2月5日]