火除町

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【消滅した年】昭和41年(1966年)
【現在の町名】暁町
【感想・雑記】久々の旧町名さがしの旅は全くの不作でした。本来なら旧町名時代の遺構をさがす企画にもかかわらず、つい気の迷いで、現代の町内会の名前の入ったものを掲載してしまいました。ごめんなさい。でも、単なる火除町町会ではなく「火除町望岳会」って名前がすてきです。どこの岳を望んでおられるのでしょうか?しかも火除町の消火器、ってとこに思わずひかれてしまったのです。

さて、「火除町」は文字通り「ひよけまち」と読みます。町の歴史は古く、江戸時代、この町に火除地があったからこのように名付けられたそうです。お隣りの旧・馬場崎町には横山の広見という大きな火除地がありますが、現代の火除町に火除地は見つかりませんでした。そのせいなのか、昭和41年には消滅させられ、その代わりに消火器が町内に数台配備されていました。

藩政期すなわち江戸時代は、とにかく火事が多い時代で、金沢でも大小合わせると数十件の火事を経験しています。なかでも、寛永8年(1631年)の「寛永の大火」では、宝船路町の法船寺付近の付け火が原因で金沢城内にも燃え広がり、直後に辰巳用水を作るきっかけにもなりました。しかし、防火のための辰巳用水もむなしく、宝暦9年(1759)年には藩政期最大の「宝暦の大火」が起こって金沢城下の約1万500戸以上を焼き尽くしたとのこと。金沢城下の90%が焼失したといいますからかなりの大災害だったことがわかります。藩主が目まぐるしく変わった10代重教公の治世、ちょうど加賀騒動のあとだったことから、大槻伝蔵の祟りだと噂になったようです。

そんな火事避けに作られたのが火除地の広見ですが、このほか火除けとして植えられたのが柿の木なのです。なぜ柿の木が火除けになるのでしょうか。それは万葉の歌人柿本人麻呂」をしゃれて「柿のもとには火も止まろ」という言い伝えを人々が信じていたため、火除の木として植えられたたいうことでした。
ちなみに火除町のお隣りには「柿木町」がありましたが、火除町とともに昭和41年に滅んでしまいました。なお今回不作の旅のなかで、旧柿木町にて植えられた柿の木を見つけたので、ついでに写真におさめました。あとさらについでにわたしの金沢の好きな道5本の指に入る天神町のこまちなみ地区が、昨日開催された第2回金沢マラソンのコースになってたのでこれもまた写真におさめました。ロンドン五輪の金メダリストでリオ五輪でも銅メダルを獲得した松本薫選手がゲストランナーでご参加されており、天神町の旧街道にはご実家もあるそうで、たいへんな盛り上がりを見せておりました。

ということで、約半年ぶりの復活第1回の不作っぷりを、今回も金沢ネタ満載でごまかしつつ締めくくりたいと思います。ではまた次回。

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神町の旧街道を走る金沢マラソンのランナー(上)
柿木町の標柱(中)
柿木町の柿の木(下)
[参考文献:いいね金沢(金沢市公式ホームページ)]
[発見日:平成28年10月23日]