谷町

f:id:cho0808:20170326232541j:plain:h300:left【消滅した年】昭和40年(1965年)
【現在の町名】長土塀二丁目
【感想・雑記】タニマチとは、角力角界用語でごひいき筋、後援者のことをいいます。のちに歌舞伎などの芸能の世界やその他スポーツの分野でも使われるようになりました。語源は諸説あるそうですが、大阪の谷町七丁目で開業していた医者が大の相撲好きで、力士をタダで診療してたから、という説が有力とのこと。かつて、大阪春場所になると谷町七丁目界隈に各部屋が宿舎をかまえていたそうです。

大阪・谷町の由来については、かの織田信長公が「日本一の境地(場所)なり」と称したという上町台地の谷にあたることから名付けられたということです。あ、これは一部ブラタモリ情報ね。ちなみに信長公のいた当時、上町台地の高低差のてっぺんには一向一揆の一大拠点であった石山本願寺が要塞のごとくそびえ立ち、陥落後はそこに秀吉公が大阪城を築いたという難攻不落の要所であったことを付け加えておきます。

さて、ようやく本題の金沢・谷町ですが、場所は元車交差点そばで、中央市民体育館(旧長土塀小学校)の昭和大通りをはさんだ向かい側あたりの一画です。こちらの由来は、加賀藩士神谷氏の邸宅があったことに由来するそうです。文政6年(1823年)の町立てで、神谷町を略して「谷町」といわれるようになったそうですので、大阪のタニマチとは何も関係ないようでした。

ところで本日の大阪春場所千秋楽は久々に大興奮しました!!新横綱稀勢の里、あのケガをおして出場し、なんと優勝しました。君が代歌いながら涙ぐむ横綱を見て思わずもらい泣きしてしまったよ。谷町のタニマチのお医者さんではないですが、きちっと治療に専念して夏場所は万全のコンディションで臨んでもらいたいものですね。

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4年前見にいった大相撲大阪春場所
[参考文献:ウィキペディア(タニマチ)コトバンク(タニマチ)、、ブラタモリ(NHK平成28年11月5日放送)、いいね金沢(金沢市ホームページ)]
[発見日:平成24年10月27日]