観音町二丁目

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【消滅した年】昭和41年(1966年)
【現在の町名】東山一丁目
【感想・雑記】金沢市民には、四万六千日ととうもろこしのお守りで有名な長谷山観音院でおなじみの観音町です。実はかなり初期の連載第2回目にご紹介済みの観音町二丁目ですが、若気の至りで、一丁目と二丁目を同時に公開してしまい、いささか後悔の念にさいなまれておりましたので、思いきっての再掲載です。しかし今回とて、新しいのが発見できたわけでもなく、ここは旧観音町二丁目だよ、と書いた看板を掲載したわけなのですが、、、
なんということでしょう!観音町が来年(平成31年?)にも復活するというではありませんか!となりますとこの看板も、「ここは旧東山一丁目17番/観音町二丁目です」と書きかえられることになるのかどうか、経過を見守りたいところです。

それにしても、ひがし茶屋街をはじめとする東山ひがし重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)を有し、圧倒的に知名度の高い「東山」の町名を捨てての観音町復活となるわけですから、町会の方の並々ならぬご苦労があったと偲ばれます。少し話しはそれますが、金沢市民の方であれば、東山=馬場校下と思われがちですが、浅野川沿いの旧観音町、旧御歩町あたりの一画だけはなぜか材木町校下なんですよね。そんな観音町の復活ということで、この構図、なんとなくスペインからのカタルーニャ独立、イギリス(連合王国)からのスコットランド独立をイメージしてしまうのは私だけでしょうか?(たぶん私だけでしょう・・・)

さて、そんな観音町復活につきまして、旧町名をさがす会金澤支部から"ある提案"がございます。
これまで、旧町名復活にあたってはいずれも住居表示実施による復活となっています。例えば主計町は、かつては金沢市主計町◯番地でしたが、復活後は金沢市主計町◯番△号として復活したわけです。おそらく今回、観音町も金沢市観音町二丁目◯番△号などとして復活することでしょう。
ところで、この住居表示には、街区方式と道路方式という2つの方式があります。東京オリンピック前後ごろより、合理化と称して全国津々浦々で行われてきた住居表示は、原則として街区方式によるものなのです。道路方式は、山形県東根市神町地区の一部などで例外的に実施されているのみなのです。
街区方式は、道路や河川等で区切られたブロック状の区画を「街区」として、町域に設定する方式なのですが、旧観音町は、観音院へとつながる通り沿いの、向こう三軒両隣が同じ町という両側町の町割りなので、道路で町域を区切る街区方式には適していないと思うわけなのです!
ですので、一介の住所マニアとしては、ぜひとも道路方式を適用しての観音町復活がふさわしいと考えるわけなのです!!道路方式では街区が設定されないので◯番(街区符号)がなく、金沢市観音町二丁目△号という、シンプルな住所設定になりますし、通り名式に住所が特定できてとても便利なのではないか、と推察するわけなのです!!!
まあ、おそらくこれまで同様、街区方式の柔軟な解釈による住居表示になるとは思うのですが、、、あくまで素人の見解ではありますが、住所の特定をしやすくするという住居表示制度の主旨にそえば、観音町は道路方式がいいと思うんだけどなあ〜。

ということで、観音町復活の知らせを祝いつつ、マニアックな話題全開で、町の紹介をほとんどしない回になりました。町のご紹介は、復活後の「観音町一丁目」であらためてお話ししたいと思います。
そういえば、消滅せずに残っている観音町三丁目の住居表示未実施地区は、復活によってどうなるのでしょうね。。。ではまた。

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正田家住宅(金沢市指定保存建造物)(上)
観音町で見つけた着せ替え(?)郵便ポスト(下)
[参考文献:今尾恵介『住所と地名の大研究』新潮社(2004)、いいね金沢(金沢市公式ホームページ)、Wikipedia
[発見日:平成24年1月22日]