長田弓ノ町三番丁

f:id:cho0808:20140504160320j:plain:w400  
【消滅した年】昭和41年(1966年)
【現在の町名】長田一丁目
【感想・雑記】新年あけましておめでとうございます。年を追うごとに更新頻度がさがるこの日記。わたしは生きてます。
さて、今回は、久々の弓ノ町シリーズです。金沢市には、かつて「弓ノ町」とつく町がいくつもありました。弓ノ町上弓ノ町中弓ノ町、下弓ノ町、三社弓ノ町、六斗林弓ノ町、そして今回ご紹介する長田弓ノ町です。弓ノ町の由来は、足軽弓組とよばれる弓部隊の組地(足軽の集合住宅地みたいなもの?)があったことによるものです。ということは、金沢には足軽の弓部隊がたくさんあったということなのでしょうか。ご紹介の長田弓ノ町は、石川郡長田村に隣接する弓兵の組地が置かれたことから名付けられたようです。

さて、今回発見したのはカマボコ型の電柱番号札ですが、通常は右下にあるはずの昭和○年の記載がありません。まあでも、カマボコ型のものは従来の例から昭和30年前後のものばかりなので、きっとこの電柱番号札も古いものだと信じましょう。
ところで、発見した電柱番号札にあるのはただの「長田弓町」としかないのに、どうして今回紹介する町が「長田弓ノ町三番丁」なのか。それには理由があるのです。
長田弓ノ町一番丁と二番丁は、大正5年の記録では戸数0だったそうです。その後、昭和7年には金沢市立長田町小学校(当時は長田町尋常小学校)が長田弓ノ町一番丁一番地の地に建てられることになり、一番丁は校舎、二番丁は校庭となってしまい、結果として長田弓ノ町は三番丁だけが人の住む町となったようなのです。だから今回見つけた電柱番号札は長田弓ノ町三番丁と言い切ってもさしつかえないわけです。ただ惜しむらくは・・・見つかったのが「長田弓町3」だったらよかったね。(ちなみに長田弓町2の数字部分は電柱を識別する固有番号のようです)

さてさて、今年もかなりのスローペースが予想されますがぼちぼち更新していきます。ご愛顧のほどよろしうおねがいいたします。

f:id:cho0808:20190812145029j:plain:w210 
f:id:cho0808:20190812144931j:plain:w210 
f:id:cho0808:20190812145257j:plain:w210 
旧長田弓ノ町一番丁と二番丁に立つ金沢市立長田町小学校(上)
旧長田弓ノ町三番丁界隈(中)
長田弓ノ町(と思われる)に建つ長田菅原神社(下)
[参考文献:長田町校下まちづくり委員会編(1998)『長田のあゆみ』長田町校下まちづくり委員会]
[発見日:平成26年5月4日]