御仲間町

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【消滅した年】大半は昭和41年(1966年)、一部は昭和50年(1975年)
【現在の町名】元町二丁目、森山二丁目、小橋町
【感想・雑記】お盆休み、いかがおすごしですか?ふるさとに帰りたくても帰れず、日常と変わらぬお休みを過ごしている方も大勢いることでしょう。ふるさとで過ごしている私も、実家に帰るのはがまんです。
今、お盆休みといいましたが、実は金沢の旧市街地のお盆は先月7月で終わっています。ただし、わたしのふるさと金石町は、旧市街地ではないので8月のお盆です。
もともとお盆は太陰暦の7月15日を中心とした期間に行われたものですが、明治に入って太陽暦が採用されると、農繁期と重なって支障が出る地域が多かったため、新暦の8月15日のいわゆる「月遅れ盆」とする地域が多くなったそうです。しかし、東京、横浜などの大都市部や東北・北陸の農繁期に重ならない一部の地域では、新暦の7月15日をお盆としているそうです。実は、こちらの記事で過去にもご紹介した情報ですが、あくまでもウィキ先生による情報です。

さて、お盆の風習と密接に関連する風習として、以前「七夕」をご紹介したことがありましたが、「お中元」もお盆に関連する風習だそうです。
お中元とは、初夏の頃、日ごろお世話になった人に贈り物をする風習ですが、最近はあまり見られなくなってるようです。一般には、7月初旬から7月15日頃までに贈る地域と、7月15日から8月15日頃までに贈る地域があるようです。ほら!7月15日ってことで、お盆との関連が見えてきました。といってもお中元は、中国の道教に由来する行事だそうです。仏教行事っぽいお盆(盂蘭盆会)との習合ってことでしょうかね。中元というくらいなので上元と下元もあるそうです。岐阜県下呂市下呂温泉の、上呂中呂下呂があるのと同じ雰囲気ですね。(無理やり地名ネタに関連させてる?)

そろそろ閑話休題。今回ご紹介する「御仲間町」は「おちゅうげんまち」と読みます。「おなかままち」ではありませんが、お中元とも全く関係ありません。
御仲間(おちゅうげん)とは、武士である「足軽」と、非武士階級の「小物」の中間に位置する身分の、いわゆる「武家奉公人」の身分だそうです。軽輩者と呼ばれる最下級の武士といってもよいかもしれません。元禄の頃は「御馬屋町」と呼ばれ、馬の世話をする御仲間の組地があったことから、のちに御仲間町と呼ばれるようになったとのことです。場所は、森山北交差点のあたりです。昭和40年と書かれた御仲間町の電柱番号札、かろうじて1本だけ残っていました。電柱番号札での旧町名ご紹介は多少心苦しいところではございますが、おそらくこの1本しか残っていません。電柱番号札とはいえたいへん貴重なものだと認識しております。

ところで、森山北交差点、森山の中心といってもいい大きな交差点なのに森山交差点ではなく、森山北交差点です。森山交差点は、その南のコンビニ前にあるとても小さな交差点です。それはなぜか。実は彦三大橋から山の上交差点までのびる道路は、昭和63年(1988年)に開通した比較的新しい計画道路(森山・有松線)です。わたしの子どもの頃はまだなかった道路なんですよね。そのため、本来大きな道路で区切られることの多い街区は、この森山・有松線では区切られていません。ゆえに小橋町は、森山・有松線をまたぐ形になっており、東山三丁目との境界は、浅野川にかかる小橋から続くせまい道路となっています。そりゃ小橋町っていうくらいだから、小橋は小橋町にないとね。
以上、興味のない方には全くどうでもよい豆知識でした・・・。

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旧御仲間町界隈の森山北交差点
[参考文献:ウィキペディアなど]
[発見日:平成27年11月14日]