木揚場

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【消滅した年】昭和41年(1966年)
【現在の町名】元菊町
【感想・雑記】金沢のデンリョク、電柱番号札でのご紹介が続いてしまい申し訳ありません。しかも若干読みづらいときてる。。。えーっと、今回ご紹介するのは「木揚場」です。「きあげば」と読みます。場所は六枚町交差点から金石方面に向かう金石街道の側道、かつて「古道」と呼ばれた道の途中の脇道を入ったあたりです。電柱番号札にも「木揚場分」とあるように、電柱の幹線(本線)からそれた脇道の分線(支線)になっています。とはいえ、昭和34年と書いてあるようにスチール製番号札のなかではけっこう古いやつなので、どうぞ笑って許してね。

木揚場の町名の由来ですが、読んで字のごとし、木を揚げる場所、です。かつては三社揚場とも呼ばれたそうです。江戸時代から続いた由緒ある町名ですが、昭和41年に消滅してしまいました。
江戸時代、築城や城下の普請にも重要な物資であった木材を宮腰(現・金石)の港から木曳川(きびきがわ)をのぼって城下に運び、市中を廻る用水を使って運搬されました。なかでも大野庄用水は、大事な荷を運ぶ川ということで「御荷川=鬼川」と呼ばれたよという話は、以前にもご紹介しましたね。
木揚場の町域のすぐ近くには大野庄用水と鞍月用水の合流地点があり、ここから木曳川に流れていきます。この場所には「古道木揚場」と書かれた標柱が立っていました。おそらくこのあたりで運んできた木材を荷揚げしていたのでしょう。

金沢市が設置した案内板などによりますと、大野庄用水は、完成年不明ながら金沢で最も古い用水で、富永佐太郎という人によって完成したと伝えられています。犀川から取水し、長町武家屋敷の土塀沿いを流れ、木曳川から日本海に注ぐ総延長10.2kmの用水だそうですが、その大半は木曳川で、大野庄用水としては古道木揚場で鞍月用水と合流するまでの2.2km、というのが正しいのではないかと思われます。

ところで、大野庄用水を語る上で「三社どんど」を忘れてはなりません。中央郵便局近くにある水門のような施設が「三社どんど」です。元禄6年(1693年)の記録が残されているというからけっこう古い史跡のようです。ちなみに、どんどは水閘(すいこう)のことで、水の流れを調節する水門だそうです。船の水位を合わせるために水をためていたとのこと。なお、「三社どんど」はかつて「三社どどめき」とも呼ばれていたみたいです。以前「下百々女木町」でご紹介したとおり、堰を落ちる水の轟音を表していたのでしょう。
そういえば、船の水位を調整する水閘、いわば船のエレベーターは、お隣り富山の、世界一のスタバで有名な富岩運河環水公園から岩瀬浜に向けて出航している富岩水上ラインに乗ると体験できますよ。「中島閘門」というパナマ運河式の閘門(こうもん)で、国の重要文化財に指定されています。

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大野庄用水と鞍月用水の合流する古道木揚場(上)
三社どんど(中)
富岩運河環水公園と富岩水上ライン(下)
[参考文献:金沢市の設置案内板など]
[発見日:令和2年3月15日]