出羽町五番丁

f:id:cho0808:20210210212927j:plain:w300 
【消滅した年】昭和39年(1964年)
【現在の町名】石引四丁目
【感想・雑記】みなさま、お待たせしました。お待たせしすぎたかもしれません。ひさびさの金沢編、今回は読者のなかに一定数のコアなファンがいると信じてやまない電柱番号札マニアのための旧町名のご紹介です。決してそれしか見つからなかったことを誤魔化すわけではないはずのところと聞き及んでおります。電柱番号札マニアのみなさまに「ナイスですね!」といってもらえるようにガンバリマス。

さて、今回ご紹介の「出羽町五」の番号札、これまでのモノと少しちがうことにお気づきでしょうか?ヒント。旧町名の書いてない、数字だけの番号札のほうが分かりやすいかと思います。
チチチチチ、時間切れー。答え合わせ。「デンリョク番号札なのに文字の色が緑色!」というのが答えです。「出羽町五」もだいぶ色落ちして黒っぽくみえますが、よーくみると深い緑に着色されているようにみえます。一方、デンデン系の番号札はこれまでご紹介したものも緑文字のものが大半でした(たとえばこちら)。これはどういうことでしょうか?
このへんの説明が石川県内の電気工事屋さんのブログにありました。出典を知りたい方はGoogle先生に「電柱番号札 緑」ときいてみてください。
こちらのブログによれば、文字色は電柱の所有者を表すのだそうです。「黒文字電柱札が付いている電柱の所有者は北陸電力」で「緑文字電柱札が付いている電柱の所有者はNTT」とあります・・・が、正確には、「デンリョク系電柱番号札」の文字の色、というのが正しいと思われます。なぜって、黒文字のデンリョク番号札と緑文字のデンデン番号札が同じ電柱に共存してる場合がありますから(たとえばこちら)。
デンデン系が基本的に緑文字なので、そちらに敬意を表して、NTT所有の電柱はデンリョク番号札も、文字色を緑色にしているということなのでしょうか。北陸電力管内のみなさんも家のまわりの電柱番号札をみてみてください。デンリョク緑(NTT所有の共用柱)はけっこうレアだと思いますよ。

はてさて、電柱の話が長くなりすぎて、うっかり町の紹介を忘れるとこでした。「出羽町」自体は今も現役ですので、イマイチ有難みの少ない旧町名かもしれませんが、「出羽町五番丁」は昭和39年に消滅しており、れっきとした旧町名です。場所は石引大通りの松原病院さん側の裏路地あたりです。なお、現在の出羽町は、かつて大半が下本多町と出羽町一番丁だった場所なので、旧出羽町とは町域が異なっています。
旧出羽町は一番丁から五番丁までありましたが、明治19年(1886年)に一番丁から三番丁とその周辺の町の、あわせて5万坪余を軍に召し上げられ、出羽町練兵場となり、軍の施設が置かれていました。明治時代以降、人が住んでいたのは四番丁と五番丁だけです。

出羽町の町名は、かつての出羽町一番丁(NTTの出羽町ビル付近)に、篠原出羽守一孝のお屋敷があったことに由来します。篠原一孝は、若い頃より前田利家公に仕えた武将で、口の堅い律儀者と評された人物です。また、城普請、特に石垣普請の名人との評価も高い武将でした。そういえば、福岡城石垣は土日だけの公開ですが、金沢城の石垣は毎日見学できます。金沢城公園は「石垣の博物館」とよばれて石垣めぐりのコースもありますが、こちらは金沢の街に篠原出羽守が残してくれた大切な宝物なのではないでしょうか。

最後に、現在の出羽町のお話しです。現在の出羽町には民家ゼロです。企業や公共施設だけからなる町なので、出羽町に住んでる人はいません。町にあるのは、先述のNTTビルのほか、旧陸軍の兵器庫を利用した赤レンガの建物ステキな石川県立歴史博物館や石川県立美術館ですが、新たに昨秋、東京国立近代美術館工芸館(国立工芸館)が出羽町に移転されてきました!本当は開館に合わせてこの日記を書くつもりだったのに、気づけば年をまたいではや2月。。。
ということで次回も引き続き、篠原出羽守一孝のお話しの予定です。ではでは。

f:id:cho0808:20210210213130j:plain:w210 
f:id:cho0808:20210210213014j:plain:w210 
f:id:cho0808:20210210213055j:plain:w210 
電柱がNTT所有の出羽町にあるビル(篠原出羽守一孝屋敷跡)(上) 
「石垣の博物館」粗加工石積み(中)
石川県立歴史博物館(左)と国立工芸館(右)の建つ現在の出羽町(下)
[参考文献:安井電気工事ブログ(2006年4月6日)、市民が見つける金沢再発見ホームページ]
[発見日:平成25年11月23日]