金石下越前町

f:id:cho0808:20120811131908j:plain:w350
【消滅した年】昭和43年(1968年)
【現在の町名】金石西四丁目、金石北二丁目
【感想・雑記】ロンドンオリンピックがついに閉幕しました。オリンピックネタで話そうと思ってたことも、すべて寝不足のため断念して今日に至ります。新体操の女王がカナイワ(канаева)だなんてこともすでに過去形になりそう・・・。
とゆうことで、今回も引き続きカナイワの町名ご紹介です。金石の夏祭りもすでに遠くになりにけり。ご紹介するのは金石下越前町(かないわしもえちぜんまち)です。電柱さんには「越前町」としか書いてないので上越前町でもよいのですが、発見した電柱が下越前町のや〜つなので、下越前町のご紹介といたします。

金石下越前町は、越前国(福井)と取引をしてた人たちが多く住んだ町とのことです。もとは上と下がいっしょで、ただの越前町だったそうです。もしかすると、この電柱は、江戸当時の町名をわざわざ残したものだったのでしょうか?ちなみに、享和3年(1803年)の8月16日、下越前町の赤土屋小右衛門さん宅に、わが敬愛なる伊能忠敬先生がご一泊されたのだそうです!
あと、金石には越前町のほか、新潟町なんていうのもあります。こちらは越後町ではなく新潟町。新潟って江戸時代も新潟だったんですかね?

さて、ここで急にオリンピックに話題をもどします。オリンピックと旧町名との、切っても切れない関係についてお話ししたいと思います。旧町名が消滅するきっかけとなったのは、ごぞんじ「住居表示に関する法律」が施行されたことによりますが、ちょうどこれが東京オリンピックの2年前の昭和37年(1962年)です。なぜこのタイミングなのか?
実はこの住居表示に関する法律を施行したおもな理由というのが、東京オリンピックで日本に来る外国人に対して、細々とした町割りの地名が存在するのが「わかりにくいし、恥ずかしいから」という理由だった、という説があるそうです。これは落合道人ことChinchikoPapaさんのお話しです。(詳しくはこちら)
たしかに住居表示をするのに町名をわざわざ廃止する必然性はないですもんね。旧町名をなるべく残したまま「◯◯町◯番◯号」にすることだってできたはずです。この説、出典はわからないのですが、さもありなん。これが本当だとしたら、、、何だかねぇといったかんじです。
つぎの東京オリンピックには町名すらなくなり、すべての町を18桁数字の住居コードであらわす、みたいな、「1984」的時代になっていないことを祈りたいと思います。

f:id:cho0808:20120805152550j:plain:w210 
下越前町に駐機する各町会の曳山
[参考文献]いいね金沢落合道人 Ochiai-Dojin金石の町づくり活動記録
[発見日:平成24年8月11日]

金石湊町

f:id:cho0808:20120805151731j:plain:left:h350【消滅した年】昭和43年(1968年)
【現在の町名】金石西四丁目
【感想・雑記】今回は、いっきょに旧市街地を抜け出して地方ロケ敢行です!金石(金石町)は、旧市街地より日本海に向かって北西に約6kmほど離れた港町です。市街地からは金石往還とよばれる道路が一直線にのびています。現在の県道17号線。あ、ちなみに金石は「かねいし」ではなく「かないわ」と読みます。もとは石川郡金石町(かないわまち)でしたが、戦争まっただ中の昭和18年(1943年)、金沢市編入されました。金沢市編入後、金石町の町名は「金石○○町」と「金石」を冠する形で、金沢市の町名として継承されましたが、昭和43年の住居表示にともない、大半の町は消滅させられ、金石西、金石東、金石北、などといったまことに味気ない名前になってしまいました。

金石町命名の由来などはまた別の機会にご紹介することといたしまして、さきにひとつ訂正があります。最初に地方ロケ敢行!などと書きましたが、うそなんです。実はわたくし、生粋の金石っ子なんです。つまりは超地元。地方ロケどころか、うちの近所をブラブラしただけってことです。どっちかってゆうとこれまでのほうがロケみたいなもんでした。そんなかんじで今まで「街の子」ぶって、みなさんをだまし続けてきました。じつは田舎ものです。その証拠に「金石 田舎(かないわ いなか)」逆から読んでも・・・?!

今回、金石○○町でご紹介するのが、金石湊町(かないわみなとまち)です。港町金石らしい町名のご紹介になりました。隣町にあった塩蔵に入る船着き場があったのが由来だそうです。ちなみに隣町の名前はそのものずばり、金石御塩蔵町です。

この週末、8月3日から5日は金石町校下で、大野湊神社夏季大祭が執り行われました。もともとは8月1日から3日と決まっていましたが、最近は8月第一週の週末に開催されます。『おもしろ金沢学』によりますと、金沢には歴史ある大きなお祭りが少ないそうです。そのようななか、われらが金石の夏祭りは、伝統ある大祭として江戸時代初期より受け継がれております。やっぱり地元のお祭りは血が騒ぎますね。来年あたりは神輿担ぎに参加してみようかな。

f:id:cho0808:20120805151548j:plain:w210 
f:id:cho0808:20120805180510j:plain:w210
湊町町会の曳山(上)
悪魔払いの演舞(下)
[参考文献]いいね金沢、『おもしろ金沢学』(2003:北國新聞社編)
[発見日:平成24年8月5日]