【京都市上京區】南禅寺福地町

f:id:cho0808:20180430103500j:plain:h350:left【消滅した年】昭和4年(1929年)
【現在の町名】京都市左京区南禅寺福地町
【感想・雑記】黄金週間は京都旅行に行ってきました!の番外編です。観光で訪れた南禅寺で発見した仁丹の町名表示板です。まあ知ってる人は知っている有名な仁丹かもしれません。南禅寺は、臨済宗南禅寺派大本山で、石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな」で知られる大きな三門(山門)と、境内にある琵琶湖疏水水路閣が有名な観光地だそうですが、このたびはじめて訪れました。なお、南禅寺福地町は現役町名なので、旧町名というには非常に心苦しいところですが、昭和4年上京区から左京区が分区する以前の上京区時代のものなので、ギリギリ旧町名として認定していただきたいものです。

さて、本日5月10日は街区表示板の日だそうです。昭和37年(1962年)の本日5月10日に「住居表示に関する法律」が公布・施行されたことを記念して制定された記念日だそうです。でも仁丹は街区表示板ではないよ。なお、仁丹とはなんぞやという問いについては京都仁丹樂會さんのサイトなどを検索してみてください。かなり詳しい情報が得られますよ。

住居表示については、この日記でも何度もお話ししていますが、日本全国の幾千もの町名が消滅する原因(旧町名が誕生する原因?)となった制度といわれています。道路や河川等で町を区切るという街区方式が、古くは太閤町割りにも由来するという背割りの町々を壊し、住居表示の実施基準が、藩政期から続いてきた数ヘクタールにも満たないような小さくとも個性的な名前の町々を消し去るのに十分な破壊力を発揮したわけです。
しかしながら、京都の人々はその恐ろしい破壊力に気がついていたのか、住居表示制度の適用を拒絶することに成功したようなのです。そのため、京都の町には数多くの個性的な町が残り、また仁丹の町名表示板も残ることになったと考えられるわけなのです。京都の地図をながめてるだけで白めし3杯は軽くいけます(おおげさ)。天使突抜四丁目とか、元悪王子町とか、なんともステキな町名が残ってますよね。旅行の裏目的はこの2つの町名の仁丹さがしにあったのですが、時間の都合により、あえなく断念しました。

ところで、京都といえば、四条烏丸西入ル〜♪でおなじみの、独特の住所表記にあります。碁盤の目状の道路の通り名を2つ並べて、上ル下ル西入ル東入ルで表現する独特のあれです。通りの名前さえ分かれば、すぐに位置が特定できてしまいます。個性的な町名や地番もほぼおまけ程度でしかありません。
街区方式の住居表示は、地図で見てる分には整然と数字を割り振って並んでいるように見えますが、町を歩いてみると、番号(街区符号)がとびとびでそうでもないように感じます。やはり道路を軸にして地形を捉える方が感覚的にわかりやすいように思われます。以上、だいたいのところは住所マニアの大御所であられる今尾先生の受け売りになるわけなのですが、わたくし個人としてはかなり賛同および共感できる点が多いと感じております。皆さまはどう思われますでしょうか?

とはいえ、街区表示板に罪はなし。次の旅行は、大阪で「中央区久太郎町四丁目渡辺」の街区表示板をさがしにいきたいと思っております。そんなことを考えながら過ごした街区表示板の日の一日でした。次回はいつもどおり金沢の旧町名紹介に戻る予定です。

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南禅寺三門(上)
南禅寺境内の水路閣(中)
見てるだけで楽しい京都の地図(下)
[参考文献:今尾恵介『住所と地名の大研究』新潮社(2004)]
[発見日:平成30年4月30日]