大藪小路

f:id:cho0808:20120430100511j:plain:w350 
【消滅した年】昭和40年(1965年)
【現在の町名】片町二丁目、木倉町
【感想・雑記】ひさびさに登場のデンリョク系電柱番号札の旧町名です。スチールペラペラ型電柱番号札ではおそらく最古であろう、昭和33年(1958年)モノです。東京タワーと同い年ですね。通りには電柱が何本もありましたが、残っていた番号札は、この剥がれかけ1枚のみでした。
以前にもご説明しましたが、電柱番号札は電柱の路線名?をあらわすものであり、厳密にはその町があったことをあらわすものではありません。位置ずれてること知る多少。でも、信用第一がなるべくモットーのわれわれ金澤支部は、正しく旧町名を示したデンチューさんをなるべくご紹介してまいりますので、ぜひ安心してご鑑賞ください。ええ、なるべく。

さて、このデンチューさんを発見した大藪小路は、金沢の中心繁華街・片町の裏通りにかつて存在した旧町名です。ファッションビル「ラブロ片町」の裏手(旧古寺町)から長町武家屋敷方面に抜ける、せまい路地裏に存在しました。読み方は「おおやぶしょうじ」です。
ちなみに、すぐお隣りの木倉町通りは、同じくせまい路地裏通りながら、あまたの居酒屋さんがひしめく、金沢でも有数の飲食店街です。和洋中韓なんでもあるよ。なお、木倉町という町名は平成15年(2003年)に復活した旧町名です。
いっぽう、ここ大藪小路にも飲食店はありますが、はがれかけの電柱番号札が象徴するように、木倉町通りにくらべると少しさびしげな雰囲気です。たしかに木倉町通りには行くけど大藪小路には行かないですなあ。

大藪小路の町名は、加賀藩士の大藪勘右衛門以来、大藪家が数代にわたって居をかまえたことに由来するそうです。大藪勘右衛門というお侍は、寛永4年(1627年)の侍帳に名前が見られます。また、文政6年(1823年)まで、大藪小路は木倉町後町と呼ばれたそうですが、平成の木倉町復活によって大藪小路の片側が木倉町そのものになってしまいました。

ところでその、お隣り木倉町ですが、景観の改善と交通空間の確保を目的に、今年(2012年)3月に無電柱化が完了しました。こうなると、大藪小路の電柱がなくなるのもおそらく時間の問題でしょう。。。しかも、無電柱化方式には「金沢方式」という独自の方式があるらしいです。金沢市街から旧町名の痕跡を示す番号札とともにすべての電柱が姿を消してしまい、町じゅう至るところで電柱を目にすることができた時代を懐かしむ、そんな未来がまもなくおとずれようとしているのかもしれません。

f:id:cho0808:20120430191853j:plain:w210 
f:id:cho0808:20120430101210j:plain:w210
夜の大藪小路(上)
無電柱化した木倉町通り(下)
[参考文献]角川日本地名大辞典いいね金沢石川県立図書館HP
[発見日:平成24年4月30日]