子来町

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【現在の町名】子来町
【感想・雑記】子来町。現役の町名です。旧町名でなく申し訳ございません。しかも今回はデンリョク系電柱ではなくデンデン系電柱です。同じデンデン系でもNTTモノはNGだと思ってるんですが、これは懐かしの電電公社ロゴのやつだし、まあよしとするかー。
子来町は「こらいまち」と読みます。宇多須神社の横にある子来坂を登ったところにあります。子来坂は「こらいざか」とも「こぎざか」とも読みます。慶応3年(1867年)に開拓された卯辰山の開拓作業に出た住民が、子どもが来るようににぎやかに登ったことから付いた名前だそうです。子来町が誕生するのは、明治3年(1870年)のこと。昭和41年(1966年)の住居表示で、馬場校下一帯が東山になってしまいましたが、子来町はなぜかそのままの形で生き残りました。よかった!
さて子来町といえば、何といっても宝泉寺です。この宝泉寺を知らずして金沢の都市計画を理解することはできないのでございますよ。

宝泉寺は、泉鏡花の小説にも描かれている、天狗が住むというご神木「五本松」が有名な真言宗のお寺です。別名、摩利支天(まりしてん)山とも呼ばれます。摩利支天というのは、陽炎(かげろう)の女神さまで、三面六臂アシュラマンスタイルが多いみたいですが、二本腕だったり八本腕だったり、ときには男だったりもするそうです。武芸、諸芸の神さまだそうです。移動手段はイノシシ。イノシシの背中にお月さまを乗せ、それに乗って移動します。イノシシに月。ムーンにフィット。神さまってやっぱりスゴイ…。
では、この女神さまが金沢の都市計画とどう関係があるのでしょう。実は、卯辰山金沢城の北東、つまり丑寅(艮)の方角にあることと重要な関係があるのです。
艮→うしとら→牛と虎、牛のような角に虎のパンツといえば赤鬼さんと青鬼さん。ということで、陰陽道では、丑寅(艮)の方角を鬼門と呼び、鬼の出入りする方角として忌み嫌っておりました。この鬼門から鬼が侵入するのを封じて守護する霊場が宝泉寺であり、陽炎の女神・摩利支天であり、重伝建地区の卯辰山麓寺院群だったのです。ちなみに、反対の南西、つまり未申(ひつじさる、坤)の方角も鬼の通り道で、裏鬼門と呼ばれており、同じく忌み嫌われる方角なのですが、、、金沢人ならお気づきですね。金沢城からみた裏鬼門にはちょうど重伝建地区(予定)の寺町台寺院群があるんですよ!
同じように、江戸城からみた鬼門には上野・寛永寺(一説に浅草寺とも)、裏鬼門には芝・増上寺に配置されているのだそうです。なるほど!全国その他の城下町も、お城の北東や南西にきっと寺院群や大きなお寺や神社があるはず。あと、これは都市伝説なのかなあ…東京の鬼門に東京スカイツリー、裏鬼門に東京タワーが建てられたとか。。。山手線の鬼門に西郷さんの犬(上野)、裏鬼門にハチ公(渋谷)がいるとか。。。ともかく、陰陽道(風水とかも)って都市計画にまで影響してるんですよね。

話はもどって子来町の宝泉寺ですが、お寺の境内が展望台のようになっていて、金沢の城下町が一望できます。今年のはじめ、旧町名を探し出したころ、全く知らずに宝泉寺を訪れて、そのながめにすごく感動したのを思い出します。黒瓦の町並み、浅野川と橋、金沢城公園、金沢のビル群…金沢の町が一等金沢らしく見える場所だと思います。おそらく金沢で一番好きな場所かも。本当におすすめスポットですよ☆ただし子来坂はちょっときついですけどね…。

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子来坂(上)
宝泉寺からみた金沢の町並み(下)
[参考文献]雑記/摩利支尊天について摩利支天 - Wikipedia鬼門 - Wikipedia
[発見日:平成24年11月17日]