弥生町

f:id:cho0808:20120816171426j:plain:left:h300【消滅した年】昭和42年(1967年)
【現在の町名】泉一丁目、弥生一丁目、弥生二丁目
【感想・雑記】もうはや6月、水無月だというのに、今からお話しするのは3月、弥生の話題です。

今年(2014年)の3月、金沢市内の3つの小学校が閉校することになりました。金沢市立俵小学校、金沢市立野町小学校、金沢市立弥生小学校の3校です。俵小は田上小に併合、野町小と弥生小は統合してあらたに金沢市立泉小学校となりました。市内の小学校統合は15年ぶり、旧市街(市内中心部)での統合は、平成7年(1995年)の瓢箪町小と此花小の統合以来、19年ぶりの統合となります。少子化のすすむなか、小中学校の統廃合は避けられない状況になってきました。先週、文部科学省が、小中学校の統廃合の基準を定めた指針を58年ぶりに見直して統廃合を促進すると発表したそうです。それにしても、学校がなくなるというのは、町名がなくなるのと同じくらい、もしくはそれ以上の、なんともいえぬ寂寞とした思いがするのはわたしだけでしょうか。。。

今回は、閉校する3校のうち昭和25年(1950年)開校と、一番歴史の浅い弥生小の話題をとりあげると同時に、旧町名も弥生町をとりあげますが、「やよいまち」か「やよいちょう」か分かりません。どっちですかー。
こちら、現在の町名は「弥生」ですので、町の名前自体、完全に消滅したわけではありません。○○町→○○何丁目のパターンです。旧町名が大量消滅する原因となったのが昭和40年前後にはじまった住居表示実施によるものですが、その町名消失のもっとも典型的なパターンとなっております。

弥生小同様、弥生町の歴史もまた比較的浅く、大正13年(1924年)の元旦が誕生日だそうです。元旦生まれなのに弥生町ということで、町名の由来は不明です。隣接する町には「芦中町」「六斗林」など江戸時代から続いた歴史のある町もあったのですが、それらはことごとく消滅させられ、若い(?)大正生まれの「弥生」の町名が選ばれて、現代に残ることになりました。これはおそらく、小学校の名前すなわち校下の名前になった町名はよく残る、の法則にあてはまったからだと思われますが、いかがでしょうか。

現在、弥生小が建っている敷地には、かつて石川県師範学校(のち石川師範学校)男子部と、その付属小学校がありました。師範学校とはいわずもがな、学校の先生(教員)を養成する学校のことで、現代でいえば、大学の教育学部のようなものです。大正3年(1914年)、当時はまだ石川郡野村字泉野だった弥生町に、石川県師範学校が建てられて、旧学制が廃止される昭和24年(1949年)まで存続しました。弥生小は、その昭和24年に野町小学校弥生分校として誕生し、翌年に弥生小となります。また同じ年に金沢市立泉中学校も開校して、弥生小とともに、師範学校の跡地に校舎をかまえました。
われわれの父親世代には泉中・弥生小の火災がよく知られています。昭和34年(1959年)9月に、泉中から出火した火災で弥生小も全焼するという悲しい出来事がありました。現在の校舎は火災の翌年に建てられた校舎になります。現在、統合した泉小は野町小の校舎で授業をしていますが、老朽化した弥生小、泉中の建替えにより、かつての師範学校敷地に、耐震化ばっちりの新たな泉小、泉中の校舎が完成する予定とのことです。
ということで、今回は廃校を惜しんで、弥生小と弥生町をとりあげました。次回はおそらく野町小をとりあげる予定ですが、野町は現町名。はてさて、どうしよう・・・。

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火事に合わずに残った旧石川県師範学校守衛舎(上) 
師範学校」と書かれた昭和28年モノ電柱番号札(下)
[参考文献]『明日の弥生のために』金沢市弥生公民館(編)(1995)、『金沢市校下誌 東部・城南地区編』北國新聞社編(1997)、読売オンラインなど
[発見日:平成24年8月16日]