裏安江町一番丁

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【消滅した年】昭和40年(1965年)
【現在の町名】安江町
【感想・雑記】年内ぎりぎりの投稿にまにあったでしょうか?すでに年は明けていますが、一応2012年最後の投稿ということで。平成24年の最後はデンチューさんで締めたいと思っております。今回のは、ペラペラ系では珍しい手書き調のデンチューさんです。
裏安江町は、「うらやすえちょう」と読みます。以前にご紹介した横安江町商店街の脇道にあたります。横安江町には真宗大谷派金沢別院(東別院)とよばれる大きなお寺がありまして、その山門へとぬける裏道にあたるのが裏安江町というわけです。
この裏安江町の通りが3本ありまして、別院に近いほうから、南門通り、西の宮通り、目細通り、という名前がつけられております。今回ご紹介する裏安江町一番丁はおそらく西の宮通りと目細通りにあたる町だったと思われます。
この、「目細通り」という名前、じつは金沢の伝統工芸をささえるお店の名前にちなんだ通りの名前なのです。それが加賀毛針の店、天正3年(1575年)創業の「目細八郎兵衛商店」です。

加賀毛針というのは、金沢の伝統工芸のひとつです。藩政期、加賀藩外様大名であったため、武芸の奨励は謀反の危険あり、ということで厳しい監視の目が向けられておりました。その代わりに心身の鍛錬として行われたのがアユ釣りであり、このアユ釣りに用いられた釣り針が加賀毛針というわけです。
心身の鍛錬として行われる釣りなので、釣果よりもアユと人間の知恵比べ的な要素が強かったそうです。そのため毛針にも創意工夫が凝らされ、見た目の美しさを競うまでになったとのことでした。
現在、加賀毛針は釣り道具もさることながらフェザークラフトという分野で、アクセサリーとしての利用も高まっているとのこと。ユネスコから工芸分野で創造都市ネットワークに登録された金沢の、伝統生きる美しい工芸品です。気になるあなたはぜひ目細八郎兵衛商店のホームページやfacebookをチェックして、「いいね」しちゃってください☆

さて、この目細八郎兵衛商店といえば、泉鏡花のまたいとこにあたる目細てるさんが有名です。てるさんは、鏡花の恩人として有名な女性で、小説にもモデルとして登場します。
そんな今年(2012年)は泉鏡花文学賞ができて40年という節目の年でした。泉鏡花記念館では、特別展「泉鏡花×中川学 絵本『化鳥』原画展」というステキな展示をやっています。こないだ見てきたので、どこかの町のご紹介ついでにお話ししますね。
今回、どうしてもこの泉鏡花文学賞40周年の2012年にご紹介を間に合わせたくって、ぎりぎり間に合ったというか間に合ってないというか。

そんな今日は、毎年の恒例行事、東別院の除夜の鐘つきにいってきました。
ぼぉーん。ぼぉーん。夜が明けたら新年だ。

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加賀毛針「目細八郎兵衛商店」(上)
金沢東別院の除夜の鐘つきの様子(下)
[発見日:平成24年12月24日]