木ノ新保七番丁

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【消滅した年】昭和40年(1965年)、平成18年(2006年)
【現在の町名】本町二丁目、此花町、木ノ新保町、堀川新町
【感想・雑記】つまらなさのつれづれにブログをしたためています。インフルに罹患したモーレツ社員はただいま隔離施設(自宅)に閉じ込められて芋タコ軟禁状態。今ごろは大人たちの新年会で、金沢駅前→片町へとくり出す予定だったのにな。。。うむー。残念。

ところで、新年会といえば、子どもたちの新年会で、毎年する遊びが「旗源平」です。金沢を中心に伝わる代表的なお正月遊びのひとつで、源氏チームと平家チームにわかれて旗やまといをとりあうゲームです。小旗、中旗、大旗、まといにそれぞれ1点〜100点の点数がついており、これを2つのサイコロの出目で決まった得点によってとりあうのですが、このサイコロの呼び方にとても特徴があります。
たとえば、1と5は「うめがいち」といって10点(中旗1本)の必殺技。これはサイコロの5が加賀梅鉢(幼剣梅鉢)を連想させることに由来すると思われます。1と6の「ちんろく」も10点技です。逆にぜったいに出しちゃいけないのが4と2で「しのに」です。「死に」に通じる出目でマイナス10点(中旗1本マイナス)。あと、こどもたちが大好きなのが「ちんちんかもかも〜」。これは1のゾロ目で2点(小旗2本)の得点です。ほかにも「にさまのかんかんど(2と3)」とか「ごっしりはなかみ(5と4)」とか。不思議な呼び方いっぱいです。とはいえ、一般のご家庭ではほとんど遊ばなくなってますね。でもわたしは、ほぼ毎年旗源平大会に参加しているので、ルールもばっちりですよ!(詳しく知りたい方はこちら→旗源平のルール)
このように、金沢の郷土の遊びが源平の戦いをモチーフにしているのは、おそらく加賀国源平合戦と関係の深い場所だからと思われますが、この点は次回お話ししたいと思いますので、もうしばらくお待ちください。

ここまで、町の紹介と全く関係のない展開ですみません。今回ご紹介したのは、金沢駅構内にあって、モーレツ社員の肩や腰を「手もみ」してくれる某マッサージ屋さんのレシートです。昭和40年(1965年)の住居表示以来、木ノ新保一番丁から七番丁までの大半が消滅したなか、かろうじて金沢駅構内に残っていた木ノ新保七番丁5番地でしたが、平成18年(2006年)の区画整理で完全消滅してしまいました。だがしかし!このマッサージ屋さんのレジスターがかろうじてその痕跡を残してくれておりました。ありがとう。
木ノ新保はかつて木ノ新保村だったくらいで、旧市街地の北西のはずれに位置しています。この場所に金沢駅ができたのが明治31年(1898年)です。城下町って駅はだいたい旧市街地の少しはずれにあるかんじがします。さて金沢駅開業以来115年。そんな金沢にもあと2年ちょっとで新幹線がやってきます。金沢〜東京間が約2時間半で結ばれます。すでに新幹線の車両イメージも公開されていますが、白の車体に銅色と空色でなんかちょっとキバツなカラーリング?でもこの銅色、じつは加賀象嵌をイメージしたものなのだそうです。昨日、象眼象嵌についてご紹介したばかりだったので、今回豆知識でご紹介しました。
では次回、ここ金沢駅から鈍行列車にのって、少しだけ富山方面に向かいますよ。乞うご期待☆
*厳密には象眼象嵌はちがうらしいです。

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今年の旗源平大会の様子(平家チーム)(上)
金沢駅にて急行能登寝台特急北陸を撮る人々(平成22年3月撮影)(下)

[参考文献:『角川日本地名大辞典 17 石川県』角川書店(1981)、JR東日本ホームページプレスリリース(2012/9/3)、月向農園
[発見日:平成25年1月16日]