沼田町

f:id:cho0808:20120414123453j:plain:left:h300【消滅した年】昭和42年(1967年)
【現在の町名】寺町四丁目、泉野町三丁目、野町三丁目
【感想・雑記】一週間以上も更新期間が空いてしまいました。連載終了とまちがわれるところでした。今回は沼田町、「ぬまだまち」です。かつてこのあたりが沼地だったことに由来します。ぬまちだったまち、略してぬまだまちです。ちょっとちがうかな。まあでも、この地が沼地だった江戸期から続く歴史ある地名なのは、偽らざる事実です。

ところで、この沼田町、実はわたくし現役の町名だと思ってました。なぜそのようにかんちがいしたのかともうしますと、町内には「沼田町」バス停として、町名が今も残っているからなのです。
しかしながら沼田町はれっきとした旧町名。つまり沼田町は、昭和40年前後にはじまった住居表示によって町名が消滅してから、40年以上もバス停の名前として残り続けたということです。本来であれば「寺町四丁目」バス停に改称されてもおかしくなかったはずなのですが、平成の世の現在に至るまで、「沼田町」バス停として生き続けているわけです。
沼田町のように、改称もされずにバス停に旧町名を残し続けた町には、南町、六枚町、泉新町、富本町、味噌蔵町などの例が見られます。しかも、このうち南町と六枚町は、旧町名復活をとげて現町名となりました。南町も六枚町も金沢の主要路線の通るバス停だったということもあってか昔から耳になじんでいたため、旧町名だった(現町名でなかった)という事実を旧町名が復活したことによって知りました。

このように、バス停の名前には、旧町名や江戸時代から続く地域の俗称などなど、町の歴史や風物が残されています。このことは、わたしの愛読するみちくさ学会、「バス停」カテゴリーの著者である岩垣さんが、「バス停地名学」を提唱して、数々の事例を紹介なさっています。(詳しくはみちくさ学会をご覧ください)
金沢市内のバス停もご多分にもれず。ただし東京のような大都会とちがって、町の規模も小さく、空襲被害を免れたおかけでせまい路地裏の広がる金沢の町には、ご紹介できるほどのバス停はないかもしれませんですね。とはいえ、もし町の歴史を語るような名前のバス停があれば、ぜひともご紹介していきたいと思っております。

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沼田町バス停前から沼田交差点をのぞむ
[参考文献]いいね金沢みちくさ学会
[発見日:平成24年4月14日]