卯辰高町

f:id:cho0808:20121027154050j:plain:left:h300【消滅した年】昭和41年(1966年)
【現在の町名】東山二丁目
【感想・雑記】今週日曜日(11月4日)、金沢検定(初級)を受験してきました!勉強時間ほぼ2日。なめてかかっておりましたッス。合格は80点以上なのでとても厳しいです。でも、意外とこのブログでとりあげた内容が出題されてたんですよ。お神明さんのあぶりもち神事とか法船寺の義猫塚とか。町名の由来とかたくさん出たらそこそこ強い自信があるんだけどなあ。

さて、今回は「卯辰山麓」重伝建地区の町名紹介第三弾です。そういえば!文科大臣が大学認可の答申を不認可にしたと話題になっておりますが、よもや、寺町台の重伝建地区選定の答申もくつがえったりしないよね?石川県の重伝建地区、この1〜2年で4つも増えてるし…重伝建の質の低下とか、そんなことにならないでしょうなあ?
おっと、話がすこしそれてしまいましたね、、、今回は「卯辰山麓」らしく?卯辰高町のご紹介です。読み方は「うたつたかまち」ね。卯辰山のふもとにできた町で、お隣りにもうひとつ、卯辰下町があるのですが、そこより高いところにあったので、卯辰高町となったのだそうです。町内には、泉鏡花の絶筆小説「縷紅新草」の舞台となった蓮昌寺がございます。坂の上にあり、金沢の町を見おろすことができます。山門はお寺の門としては珍しい高麗門とよばれる様式だそうで、市の指定文化財となっています。

えー突然ですが、わたくし、公私ともどもウィキ先生に頼りっぱなしの人生をここ数年送っておるわけなのですが、卯辰山の記事に関しては記述に誤りがあるのを発見したのであります。ウィキ先生は、「卯辰山(うたつやま)は、石川県金沢市にある山である。金沢城から見て東(卯辰の方角)に位置することから名づけられた」(2012年11月7日現在)とおっしゃっているのですが、卯辰の方角は正確にいうと東南東にあたるわけで、金沢城から見た卯辰山の方角とは大きく異なります。金沢城から見た卯辰山は、ちょうど丑寅(艮)=北東にあたりますので、金沢城基準なら丑寅山になってしまいます。正しくは、金沢市のホームページの記載にあるとおり、河北郡小坂荘の中心から見た卯辰の方角、ということのようですね。小坂荘の中心といってるのは、現在の森山(大衆免)・元町あたり、といったところでしょうか。
ちなみに卯辰山が、金沢城から見た丑寅(艮)の方角にあるというのは大きな意味を持つのですが、、、それはまた、別のお話し。

f:id:cho0808:20121027153838j:plain:w210 
f:id:cho0808:20121110140717j:plain:w210
蓮昌寺山門(写真差し替えました)(上)
グーグルマップ(方角こんなかんじ)(下)
[参考文献]いいね金沢
[発見日:平成24年10月27日]