【富山県西礪波郡】戸出町戸出

【消滅した年】昭和41年(1966年)
【現在の町名】高岡市戸出町一丁目、高岡市戸出町二丁目、高岡市戸出町三丁目
【感想・雑記】町の消滅、というとき、主に2つの事象をさします(と思います)。
1つは、つい最近「平成の大合併」でも猛威をふるった市町村合併です。自治体としての市町村の消滅ですね。平成11年(1999年)に3,300ほどあった市町村の数が、平成26年(2014年)4月現在、1718に減っています。
もう1つは、この日記の主旨でもある、市町村内にある町名の消滅です。これには主に東京オリンピック前後に行なわれた「住居表示」が大きく影響しています。地租改正に始まった、土地に番号をつける地番表示(「○番地」で表される)は、土地の合筆や分筆などが繰り返された結果、順番がバラバラになっていて、郵便配達などに効率が悪い、ということになりました。そこで、主に道路などの境界で町を区切って、整然とした番号(「○番×号」で表される)を付与していくことになりました。これが住居表示です。しかも江戸時代から続く細かな町割りは「封建的」という評価になったため、複数の町をひとまとめにして1つの町とすることが「合理的」かつ「近代的」ということになってしまい、「伝統的」に続いてきた町がいくつも消滅することとなったわけです。

さて今回、金沢を飛び出してご紹介する番外編、「富山県西礪波郡戸出町」は、昭和41年の高岡市との市町村合併によって消滅し、高岡市戸出町となったのち、昭和46年(1971年)に住居表示も実施されて、戸出町一丁目から五丁目が誕生しました。その後、六丁目、さらに七丁目ができて、現在に至ります。なお、いわゆる「昭和の大合併」が、特例法の関係で昭和28年(1953年)から昭和36年(1961年)までに行なわれておりますので、戸出町と高岡市の合併は、昭和の大合併には含まれません。

富山県西礪波郡戸出町」(以降略して「戸出町」とします)は、「といでまち」と読みます。高岡市内中心地より12kmほど離れており、お隣りの砺波市に接しております。
戸出町は、高岡市にありながら高岡とは異なる文化を持っています。その1つが七夕まつりです。本日行ってきましたよ。高岡市内の七夕まつりが8月に行なわれるのに対して、戸出町は7月に行なわれます。グーグル先生によれば、戸出七夕まつりは、「日本海側随一の七夕まつり」「日本で最も由緒ある七夕まつり」「住民手作りのものとしては日本最大の七夕まつり」「日本一美しい七夕まつり」などと形容されるそうです。たしかに露店がいくつも立ち並び、チンドン屋行列もあったりなど、仙台七夕まつりよりおもしろかったです☆彡
なんでも、グーグル先生によれば、男の子の成長を願う行事として行なわれるのが戸出町の七夕の特色のようです。今日見た七夕かざりにも、男の子の名前の書いた行灯がいくつも飾られていました。これは全国でも珍しいとのこと。5月5日の端午の節句と7月7日の七夕の節句が同じ趣旨と考えればよいでしょうか。そのほか、赤ちょうちんが多数吊られるのも特徴だそうです。ご当地ゆるキャラ「たなっちょ」も赤ちょうちん姿でした。

今回のご紹介する戸出町のうち「(大字)戸出」は、明治22年(1899年)の近代市町村制成立以前、「戸出村」だった場所で、戸出の町なかでも一番の市街地です。大字戸出には通称地名があって「本町」「東町」「新田町」「巴町」「寺町」などの名前でよばれていたようですが、これらの地名はあくまでも通称で、住所として表されることのない地名らしいです。たとえば、今回発見の旧町名は、「新田町」で発見したのですが、住所上は単なる「西礪波郡戸出町大字戸出○番地」です。ただし町の看板には、「戸出寺町、○○病院」など、これらの町名が一般的に使われているようでした。

最後になりますが、われらが金沢に関連する話題をひとつ。大字戸出の「本町」には、3代藩主前田利常公が建てた大きな「御旅屋(おたや)」があったそうです。「御旅屋」とは、領内巡見や鷹狩りのさいに宿泊や休息するために藩により建てられた建物のことを指します。戸出には鷹狩りに適した土地があったとのことで、利常公がたびたびお使いになったそうです。5代藩主綱紀公の時代まで使われたのですが、のちに戸出の町場を開いた川合又右衛門に預けられることになったとのことでした。現在は御旅屋門だけが残されて、長らく川合家の菩提寺である永安寺に置かれていたのですが、昨年(2013年)、当時の姿で再建されて、戸出コミュニティセンター内に移設されています。

明日は七夕。大型台風接近中とのことですが、牽牛と織女は果たして出会えるでしょうか。さてさて、今回お届けした番外編の戸出シリーズ、次回にも続く予感です。唐突に高岡を訪問した理由が明かされるかも?

 
 
 
チンドン屋さんが練り歩く戸出七夕まつりの様子(上)
通称地名「本町」の場所を示す看板(中) 
2013年復元・移築された御旅屋門(下)
[参考文献:総務省ホームページ、Google「戸出町」、「戸出七夕まつり」など]
[発見日:平成26年7月6日]