上百々女木町

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【消滅した年】昭和39年(1964年)
【現在の町名】石引一丁目
【上記画像出典】テレビドラマ(フジテレビ放映)『白い巨塔』(1978年版)第9回 開始30分20秒すぎ(原作:山崎豊子、製作:田宮企画・フジプロダクション、主演:田宮二郎山本學など)
【感想・雑記】今回はなんと、テレビ画像の引用という初の試みです。著作権侵害の無断転載にならぬよう、引用要件を満たすように論ずる所存でございます。
さて、こちらの画像は、財前五郎教授を演じた田宮二郎さんの遺作としてあまりにも有名な「白い巨塔(1978年版)」のワンシーンです。通りすがりの人さんに教えていただきました。ありがとうございます。ただし審議の青ランプが点灯しているようです。とりあえず、お手持ちの勝ち馬投票券は確定までお捨てにならないようご注意ください。とりあえず審議の件についてパトロールビデオならぬパトロール写真を放映します。ひとつずつ検証していきましょう。

1.ロケ地は本当に上百々女木町か?
まず、この場面が本当に上百々女木町(かみどどめきまち)なのかどうかを検証しましょう。現在の上百々女木町付近の画像がこちらです。
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いかがでしょうか?40年前なので大きく様変わりした可能性は否定できませんが、町の雰囲気が全くちがうようにもみえます。

2.街区表示板は本物か?
次に、写っている街区表示板に注目です。次に示すのは、わたしが上百々女木町付近で見つけた街区表示板です。
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いかがでしょうか?新旧両タイプを載せましたが、旧型の表示板(上)と見比べても、違いは一目瞭然ですね。まずテレビ映像の「上百々女木町」には、私が見つけた宝町の街区表示板にはない「金沢市」の市町村名がありますし、反対に、本来あるはずの街区符号がありません。街区符号とは◯番△号の◯の数字ですが、上百々女木町のものには数字がないので、これは街区表示板の要件を満たしていません。そもそも上百々女木町は、住居表示によって「街区」というものが設定される以前の地番住所なので、街区表示板であるはずがないのです。

3.仁丹町名表示板のたぐいではないか?
いや待てよ。京都の町で見かける仁丹の町名表示板のたぐいのものもあるぞ?!仁丹の町名表示板については以下の参考資料をご覧ください。
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また、東京にも、仁丹ではありませんが行政の設置した琺瑯引きの町名表示板を見かけることがあります。有名なものでいえば、この「芝區豊岡町」の味の素の看板でしょうか?
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これらと見比べてみると、上百々女木町には仁丹や味の素などの企業広告は見られませんし、琺瑯っぽくもないようです。それに、わたくし今年で金沢での旧町名探し歴6年半になろうとしていますが、いまだに行政設置の旧町名表示板発見には至っておりません。もし存在したのであれば、1つくらいは見つかってもいいはず。したがいましてわたくし、おそらく金沢では旧町名の町名表示板は設置されなかっただろうと推測しておるわけです。

4.二丁目の疑惑・・・そして確信へ
金沢市上百々女木町二丁目」。違和感。というのも、上百々女木町には「丁目」の設定はありません。金沢の旧町名で「丁目」の設定があるのは街道沿いの細長い町割りの数限られた町だけなのです。ですからこの町名表示板、本物であるはずがないのです!これはドラマのために作られた小道具にまちがいないのです!では、なぜ町名表示板は存在しないはずの「上百々女木町二丁目」などとしてしまったでしょうのか?

実は、これは原作の山崎豊子さんの仕業?なのです。この場面、財前たちの一派が、金沢大学の菊川助教授のもとを訪れ、教授選の立候補辞退を強要する場面なのですが、原作にはこうあります。

広坂の坂道を上り詰め、兼六園の横を通り過ぎると、(中略)小高くなった小立野台地に、金沢大学医学部と附属病院が、雪をかぶった純白の容を見せていた。
「上百々女木町というと、この近くかな」
佃は、金沢の市街地図を見ながら、運転手に聞いた。
「ほうや、何丁目ですか」
「三丁目の菊川昇という人の家なんだが、ちょっと探してくれないかな」
(出典:山崎豊子 1965年「白い巨塔(2)」(新潮文庫版p.107-108頁より一部引用)

白い巨塔では、大阪大学浪速大学という架空の名称なのにもかかわらず、金沢大学は実名になっています。また、上百々女木町という当時実在の町名をあげ、町の場所も大学病院そばとして小立野台地まで正確に描写しているのに、架空の三丁目を設定しています。このように、事実と虚構の間を行き来させつつ、あくまでドキュメンタリーではない臨場感のある社会派小説をあまた書いてきた山崎さんの工夫、あるいは遊び心だったのではないでしょうか。
ということで、本日の日記は、上百々女木町のご紹介そっちのけで、検証記事を執筆させていただきました。つまりは、上百々女木町は未発見ってことなんですけどね。。。なお、上百々女木町の由来については下百々女木町の回をご覧ください。

旧上百々女木町界隈(1の写真)
宝町で見つけた旧型の街区表示板(2の写真上)
同じく宝町で見つけた新型の街区表示板(2の写真下)
京都で見つけた仁丹の町名表示板(3の写真上)
東京で見つけた芝區豊岡町の行政町名表示板(3の写真下)
[発見日:平成30年4月14日]