味噌蔵町裏丁

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【消滅した年】昭和30年(1955年)
【現在の町名】兼六元町、橋場町、材木町
【感想・雑記】ご本家旧町名をさがす会で味噌蔵町下中丁が紹介された記念といたしまして、味噌蔵町○○シリーズのご紹介です。今回は貴重な昭和30年式カマボコ型のデンチュウさんですよ。

ご紹介する味噌蔵町裏丁(みそぐらちょううらちょう)は、金沢市のホームページで、味噌蔵町○○が六町あるといわれながら唯一紹介されていない町でございます。金沢三文豪の1人、徳田秋聲が14歳のとき転居した町なのにね。。。
味噌蔵町裏丁は、東京オリンピック前後に始まった住居表示にともなう町名の大量整理よりも一足先の昭和30年(1955年)に消滅して、「味噌蔵町東丁」と名前を変えました。やはり「裏」ってのがよくなかったのでしょう。例えば「裏日本」は、かつてはふつうに天気予報などで使われていたそうですが、新潟のとある市長さんが差別的、侮蔑的だとクレームをつけたため、1960年から放送禁止用語になった、とウィキ先生が言ってました。(→詳しくはこちら)

味噌蔵町という町名は江戸時代から続く由緒ある町名です。その頃はただの「味噌蔵町」でしたが、明治5年(1872年)に、味噌蔵町上中丁、味噌蔵町下中丁、味噌蔵町片原町、味噌蔵町間ノ町、味噌蔵町裏丁の5つの町に分かれました。その後、明治、大正、昭和と、近代日本の歴史とともに生き残ってきたわけですが、味噌蔵町裏丁が味噌蔵町東丁に名前を変えたわずか15年後の昭和45年(1970年)までの間にすべてなくなってしまいました。今は味噌蔵町小学校、味噌蔵町バス停、味噌蔵町交差点などにかろうじて名前を残すのみとなっています。以前ご紹介した「小学校下名になった町名は残る」のジンクス適用外の味噌蔵町小学校は明治39年(1906年)開校、ロンドン五輪金メダリスト松本薫選手や、ラピュタ・トトロ主題歌でおなじみの井上あずみさんの母校です。

えーっとここまで、ここ最近の一年間の平均「味噌」の字使用量を一日で使ってしまった気がします。味噌の字サブリミナル効果で味噌汁が飲みたくなったあなたは、ぜひ本家のさがす会からまつやとり野菜みそにオンラインしちゃってくださいね。当局は一切関知しないからそのつもりで!

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味噌蔵町バス停(上)
味噌蔵町交差点(下)
[参考文献]『徳田秋聲全集別巻』:2006年:八木書店、『角川日本地名大辞典 17 石川県』:1981年:角川書店
[発見日:平成24年8月4日]