神宮寺町

f:id:cho0808:20130113155932j:plain:h300 
【ほぼ消滅した年】昭和41年(1966年)(一部)
【ほぼ現在の町名】神宮寺一丁目〜三丁目、鳴和二丁目、小金町、神宮寺町
【感想・雑記】全国高校サッカー選手権、残念でしたー。星稜、初の決勝進出はかないませんでした。PK負けだからよけいにくやしいですね。でも本田圭佑選手がいた2004年度大会以来のベスト4ということで健闘をたたえましょう。さらに、年末には同じく星稜高出身の大リーガー、松井秀喜選手の現役引退も発表されました。長い間おつかれさまでした。5打席連続敬遠とか、なつかしいですね。いまだに明徳義塾には敵対心をいだいてる人もいるとかいないとか。

そんな今回は、星稜記念ということで、同校ゆかりの町名紹介です。といっても星稜中・高のある「小坂町(こさかまち)」や大学のある「御所町(ごしょまち)」は現役町名なので今回はパス。え?おまえはよく現役町名も紹介してるじゃないかって?チッチッ。ちがうんだなー。
いわゆる旧市街地は、東京オリンピック前後に行なわれた住居表示により旧町名がことごとく消滅させられました。わたしがたまにご紹介する現役町名は、この住居表示の嵐に耐えた町名なのです。しかし、小坂町や御所町は昭和11年(1936年)に河北郡小坂村から金沢市編入された地域なのです。この「あとから編入組」は、金石町を除く大半が今もなお住居表示されずに地番表示を続けていますので、住所が○番地となってるところは、かつて村だったと分かるしくみになっています。でもって、このような住居表示の嵐にさらされていない郊外型の現役町名のご紹介はNGと決められています。(もちろん自分ルールですけど。。。)

さて、今回ご紹介する神宮寺町(じんぐうじまち)は、そんな旧小坂村の字のなかでも住居表示の対象となった数少ない町なのです。ちなみに住居表示後の町名も同じく神宮寺。ただし一丁目から三丁目まであります。つまり「町」がとれて「丁目」がついただけ。東京でも駒場とか松濤とか、住居表示にはよくみられるパターンですね。
「神宮寺」とは、仏教と日本古来の神道とのあつれきを避けるために神社に付属して建てられたお寺のことだそうです。神道多神教なので、仏教の神さま(仏さま)も同じ神さまということでまつってしまおうという神仏習合思想のもとに生まれたものとのこと。小坂村の神社といえば、みなさまご存知の小坂神社でございますが、小坂神社の神宮寺が町内にあったことから神宮寺町と呼ばれるようになったのだそうです。
ところでこの神宮寺町。じつは1番地だけが残っているんです!だからじつは消滅してません。うそついてごめんなさい。住宅地図をみると、1番地は細かく分筆されて団地が造られていました。なぜ1番地が残ったのか。町の歴史の不思議ですね。何とも奥の深い世界です。

さて、旧小坂村といえば、全部で15品目ある加賀野菜の宝庫。おせち料理にかかせない「クワイ」や、何といっても「小坂レンコン(加賀レンコン)」が有名です。星稜高校から見下ろす景色もかつては一面レンコン畑だったそうですが、今や一帯が住宅地です。とはいえ山側環状道路側の御所町付近にはまだまだレンコン畑が残っています。レンコン畑は夏が見頃ですが、冬場の物悲しいレンコン畑もなかなか風情がありました。

f:id:cho0808:20130114112240j:plain:w210 
f:id:cho0808:20130113164809j:plain:w210
じつは今も残る神宮寺町1番地(上)
冬場は物悲しい御所町のレンコン畑(下)
[参考文献:『角川日本地名大辞典 17 石川県』角川書店 1981]
[発見日:平成25年1月13日]