芦中町

f:id:cho0808:20120219170930j:plain:h400:left【消滅した年】昭和42年(1967年)
【現在の町名】弥生一丁目、泉一丁目、泉二丁目
【感想・雑記】金沢で旧町名探しをはじめてわりと初期に見つけた蔵出しの芦中町です。そろそろ蔵から出してかんといかん、と思いつつも我が家にパソコンがないのでたまった写真がアップできないんですぅ。

芦中町は江戸時代からの町名で、 金沢市のホームページによれば、「足中町といふは並び短く尻切れたる町なり」と伝えられ、はじめは「足中町」とも書く。だそうです。今は、金沢芦中郵便局にかろうじてその名をとどめておりますが、現在の町名は弥生や泉となって消滅しました。大正13年(1924年)に誕生した新しめの「弥生」という町名が生き残って、江戸から続く「芦中」が消滅したのは、おそらく金沢市立弥生小学校があったからでしょう。「小学校の名前になった町名は比較的残る」という法則が適用されたものと推察されるわけです。しかしながら、今から3年前の平成26年(2014年)には、その弥生小学校もなくなり、野町小学校と統合して泉小学校になってしまいました。

泉小は、現在は野町小校舎を仮住まいとしておりますが、耐震対策を施した新校舎建設がすすんでいるわけなのです。その学校の用地として、金沢大学から金沢市に土地が売却されることになり、金沢大の北溟寮がこの3月末をもって閉鎖されることになりました。おそらく小学校の用地確保にあたっては、誰かが何かに働きかけたとか、契約書が何枚もあるとか、そのようなことはなく、まったくもって適正に行われたものと考えておるわけです。

ところで、このたび閉鎖される金沢大学の北溟寮については、テレビ番組「探偵ナイトスクープ」や、「月曜から夜ふかし」などでとりあげられてすっかり有名になった伝統競技「北溟サーキット」でおなじみなのです。ご存じないかたはネットで調べてみてください。寮にあるU字型のお風呂のへりにまたがって全裸の学生たちが競う伝統競技なのですが、伝統もついに終わりのときをむかえるのです。

春は別れの季節、こうしてひとつの歴史が終わりを迎えるとともに、あらたな歴史が生まれていくものなのでせう。
この連載もこの3月、6年目に突入しました。わりと休みまくりの展開も、蔵出し公開とペースアップでそろそろ終焉の時もみえてくるのでしょうか。。。

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金沢芦中郵便局(上)
閉鎖される金沢大学北溟寮(中)
北陸中日新聞」北溟サーキットの記事(下)
[参考文献:いいね金沢(金沢市ホームページ)]
[発見日:平成24年2月19日]